第五章 トリスタニアの休日
第一話 その男執事?
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常に賑やかな笑いが溢れる店内は、息をする事さえ躊躇う程の緊張感に満ち静まり返っていた。ただ一箇所、耳障りな騒音が響く場所を除き。
「おい姉ちゃん! もっとこっち寄らんかい!」
「あっ、あの、ちょっ――」
「いいからこっちこんかい!」
「きゃっ」
見るからに荒くれ者といった風体の男が、際どい派手な給仕服を着た若い女性の腕を掴んでいた。真っ赤に染まった顔で男が、唾をまき散らしながら怒鳴り散らしている。周りには他に客の姿はあるが、関わり合いになりたくないのか、全員が顔を逸らしている。少女の同僚と思われる、同じ様な際どい服を着た少女達も、どうすればいいか分からず手をこまねいていた。
少女の腕を掴んでいる男の腕は、掴まれている少女の胴程の太さはある。何とか振り払おうとするが、男の手は全くビクともしない。心の中では泣き叫んでいる少女であったが、給仕としてのプライドか、それともただの意地か? 若干引きつってはいるが笑顔を浮かべている。少女の必死の抵抗を全く気にすることなく、男は少女を引き寄せていく。
このままでは少女の華奢な身体が、男の分厚い胸の中に閉じ込められてしまう。自分が辿る未来を思い瞳に涙が浮かぶ。
男が腕を一気に引き寄せる。
少女の身体が宙に浮く。
暑苦しく汗臭い湿った感触に耐えようと、歯を食いしばり、来る未来から逃げるように目を閉じた。
「お客様」
しかし、
「当店にはそういったサービスはございません」
覚悟した感触は思ったよりも不快ではなく。
「ご注意してもお聞きになられない場合は」
それどころか、包み込むような暖かさと、ふわりと鼻腔に吸い込まれた香りは、どちらかと言えば好ましく。
「強制的に退店させていただきますので」
身体に回された腕は男らしく力強く、しかし優しくもあった。
「ですのでお客様」
少女がおずおずと顔を上げると、そこには笑いながらも鷹の様な鋭い眼光で、荒くれ者を睨み付ける精悍な顔の男がいた。
浅黒い肌を持つ男が身に纏うものは執事服。
上の燕尾服、下のスラックス、革靴、首に巻くネクタイは黒く。一瞬全身が真っ黒に思えるが。しかし、燕尾服の下のシャツや手を包む手袋、高い位置にある髪は対照的な白。
白と黒のコントラストが目を引く執事服を、男は全く違和感を感じさせずに着こなしている。流れるような仕草や、口元に浮かぶ淡い微笑。
執事の良し悪しが分からないはずの少女でも只者ではないと分かる程の何かをその執事は持っていた。
商家にいるような執事ではなく、貴族の屋敷にいる執事だと思わせる洗練された雰囲気は、一朝一夕で身に付くものではないだろう。しかしその執事がいる場所は、貴族のお屋敷どころか、お世辞にも高級な店とは言えない
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