暁 〜小説投稿サイト〜
霊群の杜
溝出
[8/10]

[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話
た。今まで決して薬袋氏と目を合わせようとしなかった静流が、初めて薬袋氏をまじまじと見つめていた。…まるでここが死体の水槽に囲まれた薄気味悪い部屋だということを忘れたかのように。…付き合うようになって気が付いたのだが、この子は時折、常軌を逸した集中力を発揮する。
「…薬袋先生。もし私が死んだあと、こんなふうに裸にされて、お腹を裂かれて、水槽に入れられて…そんなことになったら」
とても、恥ずかしいです…そう呟いて、静流は顔を赤らめた。
「もう、無くなってしまいたいくらいに。そんな姿を永遠に晒されるなんて、耐えられません…」
俺よりも薬袋氏よりも…奉がただ、呆然と静流を眺めていた。死体に囲まれたこの空間に再び、沈黙が降りた。少しの間表情を無くしていた薬袋氏は、取り繕うように人の良さそうな微笑を浮かべた。
「えぇと…『彼女ら』は、医学の発展の為に献体に応じてくれた人達なんだ。美しさ云々よりももっと崇高な覚悟が、あったのだと思うよ」
どの口で云うのか。一度秘密裏に殺されかけた俺は反駁してやりたかったが、静流が真相を知るのはあまりに危険だ。なので、殺すぞ…くらいの念を込めて睨み付けるに留めておいた。
「ただ、心変わりは誰にだってある。…この地下室も、もう終わりかな」
そう寂しそうに呟いて、遠くを見るような目をした。この男にとっての終わり、とは。


「一番の心変わりはあんただろ、変態センセイ」


煙色の眼鏡の奥で双眼を細め、奉は薬袋氏をとっくりと眺めた。薬袋氏の表情は変わらない。相変わらず、人の良さそうな微笑を浮かべている。だがそれは無表情と何ら変わらない事は、厭というほど思い知らされていた。
「胎児と繋がっていない女に、用はないのだろう…ま、俺にはどうでもいい話だがねぇ。さてと、そろそろお暇しようかね」
いやに重い椅子をひいて、奉が立ち上がる。俺と静流もつられるように立ち上がった。
「おや、今日は泊まっていくのかと思っていたのに」
「厭だよ夜中にこんな水槽見ちゃったらトイレ行けねぇよ」
そう云い返すと、ははははは結貴くんカワイーイ、ホルマリンに漬けた〜い、などと頭おかしい事を云い始めた。ドアノブに手を掛けていた奉が、忘れ物でも思い出したのか、僅かに動きを止めた。
「…ああ、そうそう。例の溝出の話。あの話にはちょっとだけ続きがあってねぇ」


―――溝出となった者の死骸を粗末に扱った者は、穏やかならぬ死を迎える。


「おや、悪さをしないのではなかったのかい」
「しないよ。ただ踊るだけだ。…だからこれも分からないんだよねぇ。単なる偶然なのか、祟りなのか」
それは…とりもなおさず祟りではないのか。
「溝出が現れるってことは、仲間の死体すら満足に葬れない、余裕のない状況なんだよねぇ…戦場、貧困、飢饉とな。死体を捨て
[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ