溝出
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槽の中をたゆたう物言わぬ死体の群れが、俺達を見下ろすように髪を揺らす。やがて薬袋氏が、ゆっくりと首を振った。
「いつも気が付くのは、骨が消えたあとなのでね」
「ふぅん…面白いねぇ」
くっくっく…と低く笑って奉はスコーンをもう一つ掴んで齧った。…お前も変態センセイも…よくこんな場所で何か食う気になるな。
「さて、と。何か知っているか、と問われたから知っている事を話した。ここで起きていることは一種の『現象』であり、即座にお前の立場を危うくするものではない。ここまでが、俺が知っている全てだ。…なぁ静流、お前はどう思う?奴らは何故、肉と皮を脱ぐのかねぇ」
突然話を振られた静流は、鷹に狙われた子リスのようにビクッと身を強張らせた。スコーンは殆ど食べ進めていない。彼女は少し冷めた紅茶をグイと流し込んでから、おずおずと顔を上げた。
「……綺麗でいたいから…でしょうか」
その一言は、何だか意味は分からなかったが妙な説得力を持って俺達を黙らせた。静流はたどたどしく、だがしっかりと言葉を紡ぎ続けた。
「死んだ肉は腐るのみです…テレビなんかで、ミイラとかエンバーミングされた遺体とか見るけど…なんか皆、ゴムみたいです。やっぱり、生きて動いてる人たちの美しさには到底、叶わないんだなって、思います。いくら取り繕ってもそれは崩れて、朽ちていくもので……」
薬袋氏が何かを言いたげに指先を組んだが、結局一言も発することはなかった。
「葛篭なんかに入れられて、土に還ることも出来ず、荼毘に付してもらうことも出来ず、腐っていく体に留まり続けるんだったら…私なら、破り捨てて出て行ってしまいたい…そんなことなら、骨になった方が綺麗だから」
「成程!そりゃ、面白いねぇ…九相図か」
奉がぱっと目を見開いた。
「きゅうそうず?」
静流が言葉を辿って首を傾げると、奉は見開いた拍子にずれた眼鏡をくい、と戻した。
「…放置された死体が腐り、骨に還っていく様を9つの場面に分けて描く仏教絵画だ。よく知らないでも、見たことくらいあんだろ?」
小さく頷いて、静流はまた俯いた。
「仏教には『九相観』という修行があってねぇ。肉体を不浄なものとし、あらゆる煩悩を断ち、魂の解脱を目指すものでな。そういった目的の為だろうか、題材には煩悩の源泉、美女が使われるが多い。檀林皇后だとか、小野小町だとか。…だが信仰心篤く自ら望んで題材となった檀林皇后はともかく、小野小町はたまったもんじゃないよねぇ。死体蹴りとはこの事だ」
「本当ですねぇ…」
静流も珍しく、普通にため息と共に相槌を打つ。…なんというか、今まで見た中で一番普通の女の子っぽい、素の静流だった。
「―――つまり、妻達は腐り落ちて醜くなることを畏れて?…馬鹿な」
水槽の中に居れば永遠なのに…と、一瞬だけ顔を歪めて薬袋氏が呟い
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