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雲は遠くて
130章 日本人やゴッホの自然観、ゲーテの語る自由
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一神教とかと比べると、宗教としての要素が希薄ですよね。竜さん」

 純は、そう言って、竜太郎を見た。

「そうですよね。神道は、それだから、何々教(きょう)ではなくて、(みち)なんでしょうね。
道とは、つまりは、人の歩むべき道や姿とかで、
人の在り方を表示(ひょうじ)しているのでしょうね。純ちゃん」

「神道って、おおらかで、いいですよね。自然の中の自然の営みのすべてには、
神が宿るって感じなんでしょうね。だから、教義も戒律も必要ないんだだろうし」

 そう言って、利奈の彼氏の菊田晴樹は、竜太郎に微笑む。

「どこから、どこまでが、神道の『(わく)』だというものがないのよね。竜さん。
それだから、なんにでも、対応できるし、仏教や儒教でも道教でもキリスト教でも、
どんな神様にしても、神道の立場からすれば、
(おそ)れ多い外国の神様という感じで、受け入れられるのよね。竜さん」

 奈緒美が、彼氏の竜太郎にそう言いながら微笑む。

「そう言えば、わたし、ゴッホの絵が好きなんですけど・・・。
『星月夜』とか、『夜のカフェ・テラス』とかは特に好きですけど。
そのゴッホも感性が鋭い人だったから、日本の浮世絵に感激したそうです。
そんな絵からも、日本人の生活感や自然への考え方を読み取ったらしくって、
日本人のそんな自然観を見習わねければいけないって、
弟のテオに手紙に書いているのよね。
やっぱり、ゴッホって、偉大な画家ですよね」

 信也の彼女の詩織がそう言って、みんなに微笑んだ。

「おれも、ゴッホは好きだなぁ。絵や音楽とかの芸術でも、宗教にしたって、
本来は、人を自由にしてくれるもので、元気にしてくれるもので、あるはずだよね。
本物の芸術や宗教ならばね。
おれの好きなゲーテも、自由については、いいことを言っているんですよ。
『最高の自由とは何か?最高の自由とは、好き勝手やわがまま放題のことではない。
最高の自由とは、人と人のつながりを意識しながら、
自分を高めて、生きていこうとする意志のことである。
最高の自由とは、人々が生きている間だけではなく、
そののちの人々の安全まで考えることで、
ずっと先の人々のことまで考えないのならば、虫けらに等しい。』
とか言っているんです。
要するに、人をおもう、愛や想像力のない人には、
本当の自由はありないってことでしょうかね」

 信也はそう言って、生ビールをうまそうに飲んだ。

「おれも、ゲーテもゴッホは好きだな!」とか
「わたしもゲーテやゴッホ大好き!」とか
「ゴッホも、ゲーテもいいよね!」とか
「確かに、ゴッホやゲーテはすてき!」
とか、みんなは言った。

そして、楽しく飲んだり食事もして、時間は過ぎていった。


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