間章W
月影にそよぐ風
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様、ティモシーはニッコリと微笑みながら言った。そう言われてしまうと、さすがに「嫌です」と断れる雰囲気ではなかった。
それ以上にレイチェルは、この吟遊詩人の演奏をもっと聴きたくなっていたため、覚悟を決めて返事をしたのであった。
「私の拙い歌で宜しければ。」
皆がその返答を聞くや、再び拍手が巻き起こった。だが、ティモシーが緩やかに伴奏を奏で始めると、それはすっと止み、部屋は再度音楽で満た足たされた。その中に、小さいながらも力強い歌声が重なり合うように響き出したのであった。
歌われたのは、先に話したアリア「枯れることを知らぬ花」である。しかし残念なことに、現在この曲が納められたオラトリオ“時の王とエフィーリア”の大半は音楽や歌詞が消失しており、このアリアも例外でなく歌詞が全て失われているのである。よって、ここで歌詞を紹介出来ぬことは実に遺憾である。
さて、曲が終わりを迎えるや、皆が呆気に取られていたのであった。余りの美しさに、まさかという顔付きで皆がレイチェルに視線を向けていたのである。
これがレイチェルと吟遊詩人ティモシーが会った時の話であるが、レイチェルはもう一度彼に会うことになる。
さて、叔父とティモシーの来訪より二週余りの過ぎた。レイチェルはその日、コロニアス大聖堂へと赴いていた。
無論ながら、大聖堂へはかなりの距離があるため、そこへ行くためには父と兄とに交互におぶってもらわねばならなかったが、そこまでして大聖堂へと赴いたのには理由があった。
当時、大聖堂では無償で薬を配布したり、また御抱えの医者に診療させたりしていたのである。
当時も町医者が居るには居たが、まだまだ料金が高く、とても一般市民には受けることが出来なかったのである。それ故、大聖堂には多くの患者が訪れていたのであった。
レイチェルが赴いたその日は、大司教から直接来るようにとの書簡が届けられていたのである。
何故レイチェルに書簡が届けられたのか?大司教が一個人を優遇するなど許されぬことであるが、書簡が届けられた理由は二つあった。
一つに、レイチェルの父であるアンソニーの兄が、この大聖堂で司教として働いていることが挙げられる。レイチェルにとっては伯父にあたる人物であり、以前は子爵の位に就いていたことがあった。
子爵とは、当時国に貢献した人物に与えられた爵位で、一代のみで終る継承されぬものである。
彼は医療と食物開発での多大な功績を認められ、国王から直々に土地と金貨五百枚を褒美として受けていた。彼はこれを最大限に利用し、三年で資産を三倍に増やして後、総てを大聖堂へと寄進して司教の路に進んだのである。そのため、彼の願いを大司教が無下に断ることが出来なかったと言われている。
二つ目は、これは後世で発見された“アーベル書簡”によるものだ
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