暁 〜小説投稿サイト〜
岡山県にて。日本の合戦一覧をウィキペディアで拝謁しながら。
岡山県で書いたもん。東岡山駅に近いネットカフェ。快活clubの方。
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高島神社周辺は今より水没していたわけだ。この人たちが
香川県経由でいったのなら、高島神社に停泊した可能性も高いと思われるが、本土経由ならなんでわざわざそっち行ったのってことになる。
戦闘になった場所が、東大阪市なわけで、今より海岸線が向上している状況で、つまり平原がほとんどなくて、島ばっかりの状況なわけだが
香川県から東大阪市行くなら、どのルートか判別つかんな。どこからでも東大阪市は最短ルートになる。どっちにしろ東大阪市のあたりまで
平原部分は全部水没していただろう。大阪南平原多いから。で、北上ルートか南下ルートか知らんが、戦闘になったわけだ。

"イツセは、「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西を向いて)戦おう」と言った。それで南の方へ回り込んだが、イツセは紀国の男之水門に着いた所で亡くなった。"
↑俺東海岸嫌いなんで、イツセの気持ちはよく判ります。ただし死んだみたいだが。北上ルートでなく南下ルートで交戦に入った可能性が高い。
というのは、まあ、和歌山県側から北上していって東大阪市へ行くなら、東向いて戦わないだろう? だって大阪の海岸線って、斜め下に下がった形状だからね。
東ってより北向いて戦うことになるし、それに南に回り込むって記述は

まあ、兵庫県側からくる。東大阪市へ来る。交戦。交戦中に、ちょっと東へ進み、南へ降りる。そうして東大阪市の背後に回る。
そうすれば南下して回り込むことになる。だから兵庫県ルートであることが推察される。ではイツセは残念ながら死んでしまわれましたけど
行きましょう。

男之水門、これは古事記の名称であり、現在の、水門吹上神社の位置だと言われたりするみたいだけど、まあこの地所は、川や山が近くにあるので
現在、だから、海進してれば入り江になったろう、それ故港の呼び名である神社でもあり古事記でもあるという意見もホムペである。
戦没者の場所に神社があるパターン。ほお。ひめゆりの塔みたいだ。ただ沖縄人は神社なんか作ってたまるかってことかもしれんが。
それはそれとして、そうそう、神社って水の方向を示すもんなんじゃねえかと思ったことあるぜよ。何かしらの指標の可能性が高いと俺は見る。
だから、逆に、このしにはる軍人が、泊まった場所とか、死んだ場所とかに、指標として残した可能性全然高いとは思う。同時に入り江であった可能性も高い。
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