巻ノ七十九 昌幸の策その三
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「充分に」
「戦の流れがわからなくなってきたな」
「ここまで来ました」
「ならばな」
「はい、我等は我等の戦をしましょう」
「旧領を取り戻してな」
越後に他ならない、実は景勝にしても会津への転封は不本意だったのだ。口に出してはいないがそれでもだ。
「そのうえでな」
「関東においてです」
「第一の座にあろうぞ」
「徳川家の代わりに」
「天下は望まぬが」
しかしだった。
「東国はじゃ」
「上杉家が管領となる」
「そうさせてもらう」
「かつての様に」
「だからじゃ、我等の戦をしよう」
「そして勝ち」
「望みを適えようぞ」
こう兼続と話してだ、景勝も備えていた。東国でも戦の空気が日増しに強くなっていた。その頃都において。
石田と大谷は伏見城を囲んでいた、その軍勢は毛利や長宗我部、宇喜多に小早川も入れてかなりのものだった。
だがその中でだ、島津もいたが。
軍を率いる義弘にだ、島津の者達はこう言っていた。
「殿、これではです」
「徳川殿の軍勢に入ることが出来ませぬ」
「まさかこうなるとは」
「石田殿の軍勢に入ってしまうとは」
「うむ、わしもな」
義弘も難しい顔で述べる。
「思わなかったわ」
「これでは石田殿の軍勢です」
「その中の一つです」
「最早完全にです」
「そうなっていますな」
「何とか抜けたいが」
しかしというのだった。
「難しいな」
「ことここに至っては」
「ではそれではですか」
「腹を括りますか」
「そしてな」
そのうえでというのだった。
「戦うか」
「治部殿と共にな、しかし」
ここでだ、義弘はこうも言った。
「わしの見立てではな」
「治部殿はですか」
「あの方はですか」
「勝てぬ」
こう言うのだった。
「今でようやく互角に戦える程度じゃな」
「はい、何とかです」
「そこまでもっていきました」
「刑部殿の尽力もあり」
「何とか」
「そうじゃ、何とかじゃ」
死力を尽くしてというのだ。
「そこまでやった、しかしな」
「これ以上はですな」
「出来ぬ」
「だからですな」
「まだ余裕のある内府殿と違って」
「互角以上のものが出せる方ではなく」
「それでは敗れる、しかも肝心の刑部殿は最早満足に動けぬ」
業病故にだ、軍を進めるその中でも日に日に病は重くなっていて遂に馬に乗れなくなって輿に乗っている程だ。
「それではな」
「勝てぬ」
「そうなりますな」
「そうじゃ、しかしな」
ここでこうも言った義弘だった。
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