第百二話 長崎に来てその三
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「一体」
「別れとのことです」
「別れですか」
「はい、代々悲しい別れが続く」
「そうしたいんねんがですか」
「八条家にはあると言われていました」
「悲しい別れというと」
そう言われると思い当たるふしがあった、昔親戚の人から聞いたことだ。
「一族のある人が愛している奥さんに若くして先立たれた」
「そのお話を聞かれたことはありますね」
「大正の頃でしたね」
「そうしたお話もありましたね」
「実際にあったことです」
畑中さんは少し悲しい顔になって僕に話してくれた。
「このお話は」
「本当のことだったんですか」
「義正様のお話ですね」
「八条義正さん」
「ご存知ですね」
「あの人ですか」
この名前を聞いて思い出した、八条グループの経営で本家の三男として非常に大きな功績のあった人だ。その活躍は各分野に及んでいる。
「あの人が」
「若い頃奥様に先立たれたのです」
「それからのですか」
「代々あるいんねんなのです」
「悲しい別れのある」
「死別の、そしてです」
「そのいんねんを止めるのがですか」
まさにその人こそがだ。
「親父ですか」
「その思いで、です」
「お祖父ちゃんが名付けたんですね」
「そうでした」
「ううん、そうだったんですか」
「死別という悲しいいんねんを止める」
まさにというのだ。
「お祖父様はそう考えておられたのです」
「意外ですね」
「意外ですか」
「はい、親父の名前にそんな意味があったなんて」
そうした想いが込められていたなんてだ。
「意外でした、ですが」
「それでもですね」
「重いですね」
しみじみとしてだ、僕は畑中さんに言った。
「いんねんを止める、切るなんて」
「止様にそう期待されてです」
「それだけの徳を積んでもらおうとですね」
「お考えになってのことです」
「そうですか、ただ」
「ただ、とは」
「親父にこのことを聞いても」
親父のあの性格から考えてだ、僕は畑中さんに答えた。
「出来てないって笑って言うでしょうね」
「やはりそうですね」
「親父はそうしたことは言わないです」
絶対にだ、俺がそんなこと出来る人間かとこうしたことを聞いたら笑って言う。それこそそこにあるのは自分への否定だ。
そしてだ、親父ならこうも言う。
「それと僕には関係ないって」
「いんねんは自分が持って行くとですね」
「言います」
本当にこう言う人間だ、尚いんねんは言うまでもなく漢字だと因縁と書く。天理教では漢字で書くことも平仮名で書くこともあるのだ。
「そう」
「そうした方ですね」
「だから僕は意識するなって」
「止められずとも消す」
「自分でそう言いますね」
「止める、切るのとです」
「消すのはまた違いますよね
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