第七章
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将棋が他のこうした盤と駒を使う遊びの中で独特であることの一つは何度も書いているけれど持ち駒だけれど大体もう十六世紀頃にはあることだね。平安小将棋の頃からもう持ち駒のルールがあったっていうけれど最近有力な説は一三〇〇年辺りに書かれた普通唱導集という本に将棋を指す人への追悼文として桂馬、つまり桂男君や桂心ちゃんを飛ばして銀太君、銀子ちゃんに替えられるっていう内容の文章があるけれどもうこれは駒の交換を示していると見られているんだ。もうこの頃には持ち駒の概念があったみたいだね。
持ち駒の起源については小将棋または本将棋において駒の取り捨てではどっちも駒を消耗し合って駒枯れを起こしやすくて勝敗がつかなくなることが多かったから相手から取った駒を自分の持ち駒として使うことが出来る様にして勝敗をつけやすくしたっていう説が一般的とされているよ。
江戸時代はとにかく日本文化が様々な方面で栄えた時代だったけれど将棋も例外じゃなかったんだ。それで駒の数をさらに増していったんだ。盤も大きくなっていったよ。種類としては天竺大将棋、大大将棋、摩訶大大将棋、泰将棋、大局将棋とあるよ。ここで覚えておいて欲しいのは泰将棋は大将棋よも言われているけれど混同を避ける為に泰将棋と呼ばれていたんだ。こうした大型の将棋は当時の将棋マニアの人達の間でのみ遊ばれていて普通の人は遊んでいなかったみたいだね、江戸時代の人達の遊び心がこうした色々な将棋を考え出されたけれどこうしたものが出て来たベースは江戸時代に将棋が庶民と言われている人達のゲームとして広く普及して愛されていたからだろうね、さっきも書いたけれど江戸時代は庶民文化だったから将棋も発達したんだ。
将棋を素材とした川柳もかなり多いし今よりも将棋が遊ばれていたのが江戸時代だったんだ。このこといが明治からの将棋の発展、今に至るそれにつながっていくんだ。
ざっとだけれど将棋のことを書かせてもらったよ、将棋をする時にこの文章のことを思い出してくれた嬉しいかな、そんなことを思いながらとりあえずここで書くのは止めるね。読んでくれて有り難うね。
将棋について 完
2016・12・12
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