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将棋について
第六章
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 それと三善為康という人が書いたとされている掌中歴、懐中歴という本をベースにして十三世紀初期に編纂されたと言われている習俗事典に二中歴という本があるけれどこの事典に大小二種類の将棋が取り上げられているんだ。この将棋は平安小将棋、平安大将棋とよばれているけれど平安小将棋の方が現在の将棋の原型なんだ。相手を王君玉ちゃん一人だけにしても勝ちになるって書かれていて当時の将棋は持ち駒の概念もなかったみたいだよ。こうしった将棋で使われていた駒は平安将棋にある王、金、銀、桂、香、歩の各君ちゃんと平安大将棋だけにある銅将、鉄将、横行、猛虎、飛龍、奔車、注人というのがあるんだ。平安大将棋の駒についても何時かお話出来たらいいと思っているよ。平安将棋の駒はチャトランガの将、象、馬、車、兵によく似ていてそこに仏教の五宝を示していると言われている王、金、銀、桂、香の各君ちゃんの文字を重ねたものじゃないかっていう人がいるよ。チャトランガは戦争をイメージしたゲームで取った敵の駒は使えないけれど平安将棋は今の将棋みたいに持ち駒を使えたんじゃないかとも言われているよ。古将棋では桂男君、桂心ちゃんは八方に動けたにじゃないかという説があるけれどそこに持ち駒mのルールが入った時に他の駒の子達とバランスを取る為に今の動きになったとも言われているんだ。
 世界のこうしたゲームで同じ傾向があるみたいだけれど時代が進むにつれて必勝手順が見付かる様になって駒の利きを増やしたり駒の種類を増やしたりしてルールを改めることが行われていって将棋もそれと共に変わっていったんだ。
 十三世紀位には平安大将棋からさらに駒の数を増やした大将棋っていう将棋が遊ばれる様になって大将棋の大駒に酔象っていう駒を平安将棋に取り入れた小将棋も考えだされたんだ。、十五世紀辺りには難しくなり過ぎてわかりにくくなってきた大将棋のルールを簡単にした中将棋っていうゲームが考えだされているよ。そして十六世紀辺りに小将棋から酔象が覗かれて今の本将棋になったんじゃないかって言われているんだ。元禄の一六九六年に出された諸象戯図式っていう本によると天文年間、つまり一五三二年から一五五五年の間の頃に後奈良帝が日野晴光と伊勢貞孝という人達に命じられて小将棋から酔象を除かせたとあるけれど本当かどうかはわからないよ。この十六世紀に織田信長に攻め滅ぼされたことで知られている朝倉氏の本拠地だった一乗谷館の跡地から一七四枚の駒が出て来たんだけれどそのかなりの部分が歩一君と歩奈ちゃんだったんだ。けれどその中に一枚だけ酔象の駒があってこの時期は酔象を含む将棋と含まない将棋があったんじゃないかって考えられているよ。一七〇七年に出された赤県敦庵という人が書いて編集した将棋書である象戯網目という本にはこの酔象が入った詰将棋が載っていってこの駒のこと以外のルールは今の将棋と全
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