第一部:ゲート 開けり
カルデアの日常&第3偵察隊出陣せん!
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2名から成る偵察隊6個、「深部偵察部隊」を臨時に創設した。その中で第3偵察隊のメンバーの中核には、二重橋の英雄と称された伊丹を含めた12名の自衛官と、
銀座事件に巻き込まれたので国際社会の外圧もあって臨時に組み込まれた外国の特殊部隊員5人、計17人で構成されることになった。同時に別の目的もあってこの偵察隊は創設されたのだが、その旨は一先ず置いといて、
一応正式な目的を柳田は彼らに説明した。そしてその言葉に違和感を持つ者は、
別に何もおかしい所が無いので誰一人として居なかった。
各偵察隊は主に特地の地理や土壌(各種資源情報含む)や動植物のサンプル収集、商工業を含めた社会全般の情報を主に集めているが、この3偵(略称、他には「3Rec」とも呼称される)は人当たりの良さと語学力を利用・活用しての人材・文化交流を得意とする部隊らしい。実際全ての特殊部隊の元祖とも言える英国SAS出身の隊員が2人組み込まれており、彼らはハーツ・アンド・マインズなどにも優れているのでその判断は間違ってはいない。
他にも衛生兵である黒川(看護資格所持)がメンバーに組み込まれているのも、
文化交流に重点を置いた部隊であるというのがソープなど海外の軍人たちには理解できた。何故ならSASがマラヤ動乱(日本に占領されてたマラヤことマレーシアを、戦後宗主国であるイギリスは再編成・連邦化しようとして中華系住民の反発を招き、1948年にマラヤ共産党MCP全党員に活動開始命令が下達されテロ活動が起こった一連の出来事。マレーシア独立後の1960年まで続いた)で学んだ、とある経験に基づいているからだ。
それは何かというと、医療技術が現地で信頼を得るのに最も最適な手段であることだ。
そもそもハーツ・アンド・マインズ (人心獲得作戦)という言葉は、このマラヤの高等弁務官であったサー・ジェラルド・テンプラー大将がマラヤ動乱時に使った造語であった。
1952年6月、作戦遂行に十分な兵士を保有しているかどうかとある閣僚に尋ねられた彼はこう答えた。
「解決策は、ジャングルに兵士を更に投入する事ではなく、
マラヤ人の心と精神の中(ハート・アンド・マインド)にあるのです」と。
テンプラー大将はマラヤ人を説得するために、ジャングルに砦を建設したり、
先住民を味方に引き入れるなど、様々な手段を用いた。1953年からSASはこの様な砦建設に参加し、
先住民と生活を共にしながら、彼らの言葉や習慣、生活方法などを学んだ。そして判明したことは、
どんなに素朴であろうと、医療技術が現地人の信頼を得るのに欠かせないという事だ。
その際留意すべき点は、どんな手当てをするにも本格的で有効なものでなければならず、かつ現地人に対して決して恩着せがましい態度を見せてはならな
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