試合15分前
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薄暗い控室の中央にパイプ椅子を据え、俺は腰を降ろした。
灰色のビニール床は冷え冷えと冷気を放つ。この四畳半ほどの空間を満たす刃のような冷気が、否が応にも俺の集中力を高めていく。試合はもう15分後に迫っていた。
このタイトル戦は落とせない。
今年で29歳。ボクサーとしては決して若くはない。現に最近、負けが込んでいる。ジムのトレーナーにもさりげなく、引退をほのめかされ始めた。
……冗談じゃない。
プロボクサーの道を閉ざされてしまったら、腕一本で世の中を渡って来た俺に何が残る。指導に回るにしても、トレーナーはもう飽和状態だ。
いずれ引退の日は来る。そんなことは分かっている。それなら一つでも多くのタイトルを手にして、経歴に箔をつけたい…だから今日の試合は俺の人生にとって天王山といえる。
だが今朝方、非常に不安な連絡が入った。
『す、すみません朝早くに、木下です』
『実は今日熱出ちゃって…38度あります』
『すんません!大事な日にほんと俺…』
『ごほ、ごほ…ありがとうございます…すみません…』
というわけで、マネージャーが病欠。
ジムが代わりの人間を手配してくれたというが…まぁいい。マネージャーがどうあれ、結局ものを云うのは俺自身の鍛錬だ。どうもがいても、試合はあと15分…集中、集中だ…。
「すみませーん!木下の代打で来ました、井上でーす!!」
―――集中が!!!
俺の内心の焦りをよそに、井上と名乗るひょろっとした体格の男が、テンションも高々と乱入してきた。
「あの、試合前は集中したいので…」
「毒島選手ですよね!?いやー、強そうな苗字ですよね毒島。俺も井上とかじゃなくて毒島、とか鮫島とかそういうのがよかったのになぁ」
―――なぜ今、俺の苗字イジリを始める?
こんな苗字で小さい頃から、俺がどんだけイジリ倒されてきたと思っているのだ。基本的にあだ名は『ブス』だったぞ小中高とな!それでも俺は男だからいいんだが姉貴はもっと悲惨だ。『ブス』だぞ、クラスに自分よりブス割といるのに『ブス』だぞ!?どう考えてもお前の方が…ってレベルのクラスメートから意気揚々と上から目線で『ブス〜、一緒に学食いこ?』とか云われる屈辱。ホント怖いわ女は。最近ようやく結婚したが『やっと…やっとあの苗字から解放される』って涙流してたよ。俺普通に一生この苗字で生きていく予定なんだが泣く程嫌か。そうか泣く程か………って
―――だから集中が!!!
「あの、苗字の話はやめて頂いても…あまり良い思い出がないので…」
試合前にカリカリしたくないので下手に出て黙らせることにする。
「えー!?かっこいい苗字なのにー!?」
「集中したいんで、すみません」
そっと額を両手で包み込み、目を閉じる。俺が集中したいときの
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