第一章
[2]次話
杉野は何処
講道館においてだ、嘉納治五郎はこの時弟子達の中でも古くからいる者達だけを集めそのうえで静かに言った。
「広瀬君だが」
「はい、この度の戦争で」
「ご出陣ですね」
「そうされますね」
「そうだ」
嘉納は弟子達に答えた。
「間違いなくそうなる」
「露西亜との戦争ですか」
「激しい戦争ですね」
「そうなりますね」
「そうだ、そしてだ」
嘉納は弟子達にさらに言った。
「彼はこの度の戦争で生きて帰るとは思っていない」
「死ぬ」
「その様にですね」
「思われていますね」
「そう」
「相手は強い」
露西亜、敵となるこの国はというのだ。
「それも非常にな」
「果たして勝てるでしょうか」
「巷では絶対に勝つと言っていますが」
「意気込む者は多いですが」
「果たして」
「難しいとしか言い様がない」
これが嘉納の見立てだった。
「相手が強過ぎる」
「まさに巨人ですね」
「我々は子供で」
「それ位の違いがありますね」
「圧倒的ですね」
「そうだ、その露西亜と戦うのだ」
それ故にというのだ。
「彼もだ」
「死ぬつもりですか」
「生きて帰るお考えはない」
「そうなのですね」
「だから妻を迎えていないのだ」
死ぬと確信しているからこそというのだ。
「この度の戦争でな」
「それで、ですね」
「やはりそうなのですね」
「何故奥方を迎えられないのか」
「そのことが気になっていましたが」
「死ぬとなれば悲しむ者が少ないに限る」
嘉納は広瀬の考えを理解していた、それもまた。
「そう考えているが故に」
「そして出陣され」
「戦って来られるのですね」
「そうなのですね」
「そうだ、出来ることなら生きて帰って欲しい」
嘉納は沈痛な、何とか表情に感情を出さない様にしていたがそれでも出てしまったその表情で言ったのだった。
「そう思っている」
「それは私もです」
「私も同じです」
「あの方は立派な方です」
「軍人としても人間としても」
「そして武道家としても」
「ただ柔道が見事なだけではない」
嘉納も言う。
「まさにな」
「誠の方ですね」
「そうした方ですね」
「そうだ、だからだ」
それ故にというのだ。
「生きて帰って欲しい、そしてだ」
「そして、ですね」
「再び柔道に励んで欲しい」
「そして軍人としてもですね」
「さらに素晴らしくなって欲しいですね」
「無論人としても。あそこまでの人物だからこそ」
嘉納は今度は願う言葉を口にした。
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