第66話 揺れる会津
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松平容保が徳川慶喜とともに謹慎を言い渡され早数か月。会津藩内にはひと時の平安が訪れていた。が、各地では、激戦が繰り広げられ、次々と旧幕府軍が敗れ去る知らせが届いていた。
この平安の中でも会津の事を憂いていたのは、西郷頼母。いづれ会津は再び戦火に巻き込まれると案じていた。
なぜなら、長州程、会津に恨みを持っている藩はないからだった。しかも、すでに長州藩は官軍と呼ばれ、こちらは賊軍のレッテルはられてしまっている。
たとえ、当時の将軍であった徳川家に義を以て尽くしたとしても、あとの祭りである。
(もっと殿に苦言を呈していたら)
と悔やまれる。が、そんなことを悔いてもしかたない。
西郷は会津にとって最善の策を模索していた。が、その最中に宇都宮戦争でこっぴどく負けて敗走してきた新撰組を含む旧幕府軍が会津に助けを求めて会津周辺までやってきてしまった。
旧幕府軍はまさか神君・家康公の御膝元の日光の近くである宇都宮では、そうそう攻撃もしてこまいとたかをくくっていたのが大きな間違いだった。
新政府軍は容赦なく幕府軍に攻撃を仕掛け、死者が増えるばかりの旧幕府軍。土方は致し方なく会津へ逃げ込めばなんとかなると思っていた。が、それは当てが外れてしまった。
会津に入ることはしばらく保留という形で足止めをくらってしまったのだ。
それは、致し方ないとは土方も思っていた。
何故なら、ここで自分たちを受け入れることになれば、今度は会津内で戦争が起きる。それこそ、薩長の思う壺だ。
早く会津を叩き潰したい長州にとってこれほど好機はない。
戊辰戦争前に第一次長州征伐でこっぴどく会津に叩き潰され、有能な志士たちが新撰組に殺された。ましてや、新撰組を組織させたのは当時の京都見廻り組の会津だ。
会津、憎しとなるのは必然。
土方は黙って会津の返答を待った。
西郷は早急に容保の元へ出向いた。
新撰組を含む旧幕府軍を受け入れるべきか否か、すでに自分の範疇を超えている。
西郷は弱り果て、容保の意見を聞くために城へ参上した。
「そうか、新撰組が近くまできているのか」
容保は目を瞑り西郷の報告をじっと聞いていた。
「頼母、お前はどうしたいと思っておるのだ?」
容保は目を開き、西郷をじっとみつめた。
(自分とて受け入れたい。受け入れたいが会津の民を戦火に巻き込みたくはない)
西郷は困惑して、容保を見つめ返すだけしか出来なかった。
「なぁ、頼母よ。わしは幕府軍を受け入れたいと思っておる」
(やはり、そうか)
西郷は容保がそういうとは思っていた。おそらく、自分が受け入れ拒否を進言したとしても、わが殿は受け入れるに違いない。
西郷は京都見回りの役目を幕府から要請が来たとき、容保に行ってはなりませんと大反対した。が結果、容保の怒
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