渡り鳥が忘れた、古巣【A】
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渡り鳥が忘れた、古巣【A】
※フィクションに付き、内容は架空で事実と異なる処があります
泰弘は、古民家の縁側に座って一人、庭を眺めていた。秋の安藤家の庭は、紅葉の最中だった。黄昏が、優しく庭を照らし、黄金色の銀杏の葉が、地面に覆い被さっていた。一佳とDREAM(ドリーム)の、二人の孫が、山羊を追い回していた。そこには、妻・直子の姿は無かった。軒下に、ツバメが子育てに使った古巣が見えた。雛鳥は巣立って、今頃、両親鳥と一緒に、南国に居るだろう。何年ぶり古民家だろう?長年、海外勤務が長かった泰弘には、我が家の庭を見る時間は、殆ど無かった。我が家に帰っても、ツバメとは違って、泰弘には、家族と一緒に過ごす時間は無かった。縁側の踏み石の脇に、ひと夏の生涯を終えて、地に戻るカブト虫が見えた。泰弘には、カブト虫が自分と同じ、老兵の様に思えた。日が沈んだ。大人達が、4人、畑やNGO未来の倉庫から帰って来た。大人達と孫二人と一緒に泰弘は、夕食を摂った。食後、居間でCDを聴いた。CDは70年代前のポップスや、クラシックが主流だった。書棚から、アルバムを取り出し
た。それは、妻、直子と一緒に撮った写真や、安藤家の、絆で結ばれていた、家族写真だった。暫くして、泰弘は、アルバムを書棚に納め、仏壇に合掌してから、布団に入り眠りに付いた。仏壇には、EKYYNのワンピースを着た妻・直子の、ハガキ大の、遺影写真が飾られていた。泰弘は、役目を終えた、老いた企業戦士の姿だった。
泰弘の父親は、彼の幼い頃、交通事故で他界し、泰弘は母子家庭で育った。事故の犯人は、分からず終いで時効となり、その頃は、交通遺児の施策も不十分だった。彼の母親ヨネは、父親と勤めていた30名程の零細縫製工場で、昼夜を問わず働き、泰弘を、大学まで行かせた。ヨネは、愚痴を溢したり、お金が無いと云う言葉は、一言も口にしなく、泰弘の学校の行事や参観日には、必ず出席した。縫製工場のオーナーは温情家で面倒見が良く、母子家庭のヨネに協力してくれた。泰弘は、毎日、職場でヨネの仕事が終わるのを待ち、一緒に帰宅したので、ヨネの苦労は常に理解していた。ヨネと同年代のオーナー夫婦(安藤栄吉・キク)には、子供が無く、夫婦は泰弘を、我が子の様に接してくれた。コンサートや演劇やスポーツ観戦などは、常に、泰弘を同行させた。ヨネの仕事が終わる迄、泰弘は何時も、職場の二階に在る、オーナーの居間で待った。そこには、70年代前のポップスや、クラシックのレコードが有り、色々な書物も有った。オーナー夫婦も、同じ職場で働いていたので、夫婦は泰弘に、自由に聴いたり読んだりする事を、奨めていた。
泰弘が中学に入って二年生の頃から、周りの友達は、高校進学の準備で、進学塾などに通う様になり、次第に交友関係は希薄になった。ヨネは常日頃、泰弘に「大学まで行
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