つぶやき総集編
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人類の戦いの結末すらも突破して、宇宙を超えて――。
「……ふう、家に着いた!」
宇宙を一周して、俺のいた時間軸まで戻ってきたのであった。
――台車に乗ってれば宇宙を救える。
俺の書いたこの論文がまさか全世界に反響を呼び、数年後に「DD(台車ドライビング)システム」が完成することになるとは、この時誰もがなんとなく予想はついていたそうだ。
= 台車の台車による台車の為の台車 =
台車――それは、神秘の物質。
黄金比と呼ばれる究極の造型で構成された一枚の板を、まるでこの世の流転を表すような4つの車輪が支えるその様は、奇跡的なバランスの元に成り立つこの世界の基盤そのものであるかのように美しい。しかして、世界は人の力で動かすことが出来る……そんなメッセージを象徴するように、敢えて板には取っ手が装着されている。直角の板とは違って美しい曲線を描き、敢えて人工物だけの世界などあり得ないというメッセージが添えられているかのようだ。更には取っ手という覇権を握るに相応しい者が現れないとき、取っ手は板とともに新たな主を待つよう折りたたんでひと時の休息に移る。
そして、台車とは運ぶもの。それは物質を、魂を、時間を、空間を、森羅万象をあるべき場所へと運び続けるためのノアの方舟そのもの。
一説には台車はこの地球が誕生したと呼ばれる64億年より更に以前から造形物として存在する、宇宙そのものの原型だとする学説もあるが、真偽のほどは定かではない。また、台車は地球の生物や現在の地球人類の進化に深く関わっており、嘗て地上に栄えた恐竜たちが滅んだ理由は台車の禁忌に触れたことが間接的な原因であることがジュラ紀の地層の調査で示唆されている。
また、台車の存在が神のモデルになったことは昨今一般常識として国際的に知られている。聖書等における神のお告げとは、台車の力に触れて宇宙真理の一部を得た存在がそのメッセージを「神のお告げ」と捉えたとするのが最有力な通説だ。また、台車の存在を最も強く残す宗教は仏教であり、「大乗仏教」や「小乗仏教」の「乗」というのが台車に乗るかどうかの議論であるという事実は宗教学者の間では余りにも有名な話である。
近年では相対性理論で有名なアインシュタインの原理が台車からモチーフを得ているなど、台車の持つ可能性は今もなお人間に多大な恩恵を齎している。しかし、台車の恩恵を正しく理解しない存在から見ればこの台車の語る真理とは道具でしかなく、原子爆弾を初めとする大量破壊兵器を生み出す人類の蛮行を生み出してしまう結果になったことは誠に残念でならない。
さて、先ほど少し触れたが台車の真理的な部分を人々に伝える際に重要視されるのが台車という形状が表す移動エネルギー、すなわち加速の力
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