第11章 フェザーンへ 前編
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行けると思う。
遺族年金に子供の高校までの養育費と奥さんの給料に戦死した中佐の給料の半分をつけるという手続きで行くぞ。
こっちでどうにかするよ。」
とメモ帳にごちゃごちゃ書き込んでからポケットにそれをしまった。
少佐はビールを一気に飲んだ後、ため息をつく
そして、
「まったく困った世の中だ。
上官のあまりにも無理な命令のせいで小さな赤ん坊と奥さんを残してあの世に召さざるを得ないなんてな」
するとアッテンボロー大尉は
「まあ、我々はこれでも国家と国民を守る軍人ですから。
義務と言われれば仕方ないですな
ただ、私のような清廉潔白な大尉は除いてほしいけどな。」
と笑いながら毒舌なのかなんなのか判断しにくい言葉を吐いて思いっきりスコッチをあおった。
のちヤン艦隊の分艦隊司令官の一人として名をはせることとなるダスティ・アッテンボロー中将との出会いであった。
その後、1時間ほど飲みながら士官学校時代の話などに花が咲いた。
少佐たちと別れた後その足でシルミオーネに向かった。
長期休暇中に少佐から申請受領完了の報告が来て、自分の肩の荷が少しは軽くなったと感じられた。
ルブルック中佐の奥さんのエリー少尉は現在第1艦隊後方支援集団司令部に所属している。
軍の方針として夫が戦死した女性軍人は優先的に後方勤務や本部勤務なる。
もともと、少尉は第2艦隊第12特別陸戦隊の小隊長であったがこういった事情から転属になっていた。
私は統合作戦本部出頭のついでに一言エリー少尉に中佐のことを話しておきたかったので断られること承知でいってみようと思っていた。
しかし、私の計画は人事部人事課の人事課長代理ムライ大佐によってもろくも崩れ去った。
ムライ大佐について少しふれておきたい
大佐は主に教育・人事畑を歩んできた軍人である。
巡航艦艦長や艦隊司令部作戦課勤務など軍歴の半分は作戦にも携わってはいたが、やっぱりこの人といえば教育であった。
私が初めてお世話になったのは士官学校時代。
士官候補生たちの間では
「ムライの小うるさいおっさん」
とあだ名されるくらい骨の髄まで「軍人常識」が染みついた人であったが時に厳しく、時に優しく我々を教育してくれたことを覚えている。
その後タナトス警備管区の参事官 中佐として転任されていったが現地でのエコニア捕虜収容所暴動事件の対処が迅速であったため中央へ早くも呼び戻されついこの間大佐昇進となっていた。
この人はのち第13艦隊続くイゼルローン駐留艦隊そして、ヤン艦隊参謀長として活躍した。
今思えばいろいろとありがたいことが多いものの当時は士官学校時代のイメージが抜けきらずに人事課長室に入った瞬間は本気で逃げようかと思った。
そういうわけにはいかなかったのであきらめて入ってくと
いつものド渋い顔をした大
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