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これも設定だけしか残っていないとは…
戦国モノ設定1
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は築城している。

 天文二十年(一五五一)従二位兵部卿・大宰大弐・侍従大内義隆が重臣陶隆房に裏切られて攻められた(大寧寺の変)のを事前に察知し台風の中兵六〇〇〇で援軍に向かうが、陶隆房の軍勢に遮られた。その間に陶隆弘・冷泉隆豊・小幡義実らが一命を懸けて大内義尊・前関白二条尹房・良豊父子・前左大臣三条公頼らを守って護通の軍勢に逃げ込んできたためこれを保護。大内義隆・陶右馬允隆康・大宮左大史伊治・持明院中納言基規らは義尊らを逃がす為に囮となって大寧寺にて奮戦し自害して果てていた。護通は保護した者を塩飽水軍衆宮本伝太夫通利に託して阿波に落とした後、全軍を以て陶軍と激突。杉重矩・陶隆満らを討取ったものの、謀反人陶隆房は兵力を残したまま逃亡。それでも大戦果を挙げて勝利とし、四国へ撤兵した。

 天文二一年(一五五二)完成したばかりの今治城から兵九〇〇〇を海上輸送で送り込んだのが安芸鞆の浦である。鞆の浦を制圧した大塔勢は毛利忍軍に調略を仕掛け、世鬼政親を二〇八〇貫(八〇〇〇石相当)で、佐田彦四郎時貞を一八二〇貫(七〇〇〇石相当)で召し抱える旨を告げると世鬼政親は世鬼衆を佐田時貞は佐田衆を引き連れて毛利から寝返ってきた。大塔家では世鬼に関姓を、佐田はそのまま佐多姓を下賜し、関政親を従五位下検非違使大尉を、佐多時貞に正六位上検非違使少尉をそれぞれ任官させた。佐多忍軍は阿波徳島に、関忍軍は鞆の浦の支配を任せる事とし、鞆に築城を開始。これが鞆城である。忍でも城主になれる。この噂は全国の忍達に波及。伊賀・甲賀はもとより雑賀・山中・出羽・透破・蜂屋・風魔・軒猿・黒脛巾・根来・戸隠等から続々と忍者たちが仕官に訪れ、加藤段蔵隆顕・百地三太夫泰光・津田照算ら著名な人物も数多くいた。彼らも多い者で一六九〇貫(六五〇〇石相当)、少ない者で一三〇貫(五〇〇石相当)が与えられ、武士階級となった。

 天文二二年(一五五三)、大塔護通は四国を追い出した三好家と対立していたが、ここで電撃和解。兵一万を連れて上洛を果たす。皇室に三万貫を納め、二万貫で皇居の修繕・修理を行った。この功績に朝廷では大塔護通に従二位左近衛大将に任ずる。左近衛大将に任ぜられると五摂家を中心とした公卿にそれぞれ二六貫(一〇〇石相当)の米・銭を寄進しその名声を大いに高めた。

 天文二三年(一五五四)、大塔家は最後に残った土佐を妻の親族である土佐一条家の領地を除いて完全制圧。土佐一条家も官職・親族関係から大塔家に膝を屈し、ここに四国は統一された。四国統一後、長宗我部氏に親族を嫁に出したり養子入りさせたりして完全に取り込む。

天文二四(一五五五)、四国経済・農業発展等の内政を行いつつ、大塔勢は阿波・讃岐・伊予の四ヶ国総動員で中国地方の制圧戦を開始。瞬く間に備後国を制圧。とはいえ、数年前から国人領主たちに謀
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