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ありがとう!(U建一の半生)
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、市役所から交付されたが、自宅から外出しない総一郎は、公共交通機関などの割引制度を使う機会は無かった。人情家の塚本工務店の社長は「総さんは腕が良い大工だ。自宅でも出来る、木工の仕事を世話する」と、言ってくれた。総一郎は建一に「ごめんな、弁当を作れなくて」と、言って、弁当を買う金を渡した。中学生の建一は毎日、病院に行き、ベッドの上で総一郎の体をタオルで拭き、朝晩の食事は病院で摂った。「有難う」と、総一郎が言うと、「親子だろう、当たり前だ!俺、父ちゃん、大好きだ」と、建一が答えた。[優しい子供に、育ったよ]と、総一郎は目頭を押さえて、脳裏に妹を想い浮かべ、妹に報告した。病院には連日、同僚や、建築現場で知り合った仕事仲間が、見舞いに来ていたが、社長の娘の塚本久子の見舞いは無かった。総一郎は、塚本久子とは全く面識が無く、塚本久子が、スポーツカーを運転していた人間だとは、知る由も無かった。6
三か月以上、総一郎の、リハビリと義足の歩行訓練が続いた。自宅に戻っても、総一郎は、松葉杖なしでは、歩行は困難だった。もちろん、車の運転は出来なかった。でも、家事は極力、自らで熟した(こなした)。総一郎は自宅で、木工製品作りに励んだ。作った木工製品は、運送屋の車で地元の家具店に納品した。総一郎は必ず、運送屋の「有難う御座います」と、言うのが習慣だった。[有難うを、言われて、嫌な人間は、いない]それは、総一郎の信念に基づく考えだった。手作りの木工製品は、特徴が有り、家具店でも好評だった。
建一の高校入試の時期になった。建一は、地元の工業高校の建築科を、目指していた。建一は父親を尊敬していた。「家は、人の一生の買い物だ。丈夫で長持ちする家を造るのが、大工の使命だ」と、総一郎は常日頃、口癖の様に言っていた。建一は、早く自分も一人前になって、男一人で自分を育てた父親を、楽にさせたかった。見事、建一は工業高校の建築科に、合格した。建築科に入学し、設計を学ぶ様になった。同時に、野球部にも入部した。中学時代の経験も豊富で、ガタイ大きくて、ホームベースの守りが固く、肩の良い、一年生の建一を、監督は正キャッチャーに抜擢した。だが、走るのだけは、遅くて苦手だった。建一は毎日、クリスマプレゼントのバットとキャッチャーミットを持ち登校した。
学問を受ける機会に恵まれなかった総一郎は、活字を読むのが苦手だった。自宅で四・六時中、テレビを見ながら木工製品を作る様になり、テレビから知識や情報を、豊富に習得する事が出来た。次第に、寡黙な総一郎からの、テレビからの受け売り話が、増えていった。歩くのは、義足でのリハビリで回復したが、外出時には松葉杖が必要だった。二人での男所帯だったが、総一郎は綺麗好きで、家の中は常時、整理整頓されていた。食材は生協の宅配を利用し、家事は大部分、総一郎が担当したが、食事だけは二人
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