6部分:第六章
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で糾弾する戦術にも熟知しています。この部分はナチスやソ連のアジテーションを参考にして書きました。
そして感情も入れています。いじめドラマでの付き物の感情ですがいじめをしているキャラクターに激しい憎しみを感じるものです。その憎しみは凄まじいもので前述の様に役者さん達への尋常ではないバッシングに向かいます。ネットでもいじめ役への書き込みは非常に攻撃的なものになっていきます。いじめよりもその役を憎んでしまいます。罪を憎んで人を憎まずというのは理想論なのでしょう。現実には坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、となるものでしょう。
岩清水は前述の通りに坊主憎けりゃの人間です。ここでの描写はそのいじめ役への感情を書いています。
いじめ役へのそうした嫌悪や憎悪をそのまま向ければどういったものになるのか。岩清水はそうしたことも考えて書きました。彼は人間が持っている憎悪や嫌悪といった感情もそのまま書いているキャラクターなのです。
彼は確かにいじめを糾弾している立場として見れば正義になります。しかし絶対の正義はこの世にはないものでしょう。一部のマスコミは自分達を絶対の正義に置いているようですがそうしたマスコミこそが今ネットにおいて最も糾弾の対象になっています。検証してみればそうしたマスコミこそが卑劣な工作報道を行っていた、行っていることがわかってきました。今ではそうしたマスコミは謀略結社扱いになっています。今でも全く反省せずに同じことを繰り返しているということが恐ろしいのですが。
読者の方の感想で岩清水の糾弾はマスコミのそれにも通じるというものがありましたがやはりこれもマスコミのそうした一面も参考にしています。またデモでの抗議活動もその糾弾のやり方のモデルにしています。
絶対の正義はない、そして絶対の正義を振りかざす岩清水はやっていることは邪悪です。人を許さずどんな手段を使っても墓場まで破壊しかねません。全てを巻き込みます。これを邪悪と言わずして何というかです。
岩清水というキャラクターは正義を振りかざす邪悪です。その行動だけでなくそうした意味においても極めて邪悪なキャラクターです。悪を糾弾する側にいる人間が必ずしも正義とは限りません。邪悪であることも充分過ぎる程考えられます。岩清水はそうした人間です。俗に正義の側に立っている人間が常に正義とは限らないですし邪悪とされる側にいる人間が常に邪悪とは限らないのです。結局のところ正義も悪も相対的なものでしかありません。しかし岩清水のやっていることは間違いなく邪悪です。このキャラクターについて僕は本当に様々なものを頭の中で考えて書いているつもりです。そこに込められているものも多いつもりです。読んでいて嫌悪感を抱かずにはいられないキャラクターですがこうした一連のことを考慮して頂ければ何よりです。
岩清水健一郎とい
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