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岩清水健一郎という存在
1部分:第一章
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それまでの行動を見ているからです。大場誠を殺したのはかなりの部分彼であります。こうした親は実際に結構います。我が子を完全にわかっておらず誤った価値判断に基づく教育を行いどうしようもない事態にしてしまう親はです。我が子を信じないのも同じです。その時点で彼は父親失格であります。
『俺は最低の父親や・・・・・・』
 刑務所での自省の言葉ですがその通りです。我が子のことを何もわかっておらず信用もしませんでした。そして事態を悪化させていきました。彼が誠のことを本当にわかっていれば悲劇は避けられたでしょう。しかし彼はそれをできませんでした。愚かという言葉すら生ぬるいかも知れません。
 かなり冷酷だと思われるかも知れませんが死んだ人は絶対に帰っては来ないのです。それを考えれば彼の罪は絶対に消えませんし許せません。彼はそれだけのことをしてしまったのです。我が子を死に追いやっているのです。それでどうしてそのことを言わずにはいられましょうか。
 それはいじめをしていた松野祐次も同じです。最終回で彼はどん底にまで落ちています。そして糾弾され自殺までしようとしています。ですが彼の罪は許されないものであります。そのことも言わずにいられないではいられません。何しろ彼はドラマの中では常にいじめる立場にいます。このドラマでは武藤和彦という徹底的に嫌なキャラクターが出ていますがまず彼の陰湿さも目につきました。
 そして景山留加です。彼はそもそも兎を殺したりしています。兎達に何の罪がありましょう。この時点で許されない程心を病んでいるとしか思えません。そうした人間に誰かを救う資格があるでしょうか。僕はそれに全く値しない人間だと思います。彼は新見の策謀で誠を助ける立場から陥れる立場になったという人がいますがそもそも誠が辛い時を見ていても学校では何もしていません。辛い目に遭っているのは学校であるというのにです。そもそも勇気がありません。勇なきは、とは儒学の言葉ですが彼はそもそもそれがありません。そして異常なまでに心を病んでいます。見えている、感じているのは自分だけという人間なのではないかとさえ思います。
 そうした人物が土壇場で、しかも己の異常さを見せたうえで誠を助けられるのか。そんなことが出来る筈がありません。廃人になったのは当然の結末です。因果は確実に巡りその者を必ず罰します。そうした意味で大場衛にしても景山留加にしても当然の結末を迎えたのだと言うのはあまりにも冷酷でしょうか。
『僕は君を助けられた』
 この言葉ですがそもそも彼は誰かを救う資格すらない人間です。罪のない兎達を殺した人間が何故誰かを救えるのか、廃人になったのは天罰です。そのまま一生壊れているべきなのでしょう。それこそが相応しい報いです。
 このドラマでは人間が死んでいるのです。その結果それを観る目が厳しくなるのは
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