第一章
[2]次話
藤娘
歌舞伎の演目で藤娘というものがある、藤の花の化身であつ美しい娘が舞を舞うというものだ。これまで多くの名女形が演じてきた。
その藤娘の稽古をだ、坂東美津ノ助本名宇山峰光はしていた。その時にだった。
師匠の坂東青峰は強い声でだ、彼に言った。
「いいか、どの演目でもそうだけれどな」
「藤娘は特にですね」
「その役になりきるんだ」
「完全位ですね」
「そうだ、演じるんじゃない」
「その役になるんですね」
「完全にだ」
それこそというのだ。
「演じるんじゃなくてな」
「まだ演じているうちはですね」
「なっていないんだ」
その役にとだ、坂東は美津ノ助に話すのだった。彼のその女形に相応しい女それも美女と見間違えるばかりの美麗な顔立ちを見ながらだ。
「それはな」
「だからですね」
「藤娘になれ」
これが師の言葉だった。
「藤の精にな」
「藤の中に入る」
「そうなるんだ、その為にはな」
「稽古ですね」
「一に稽古、二に稽古だ」
まさにという口調での言葉だった。
「そして三も四もだ」
「稽古ですね」
「そして五もだ」
「稽古ですね」
「人間は才能じゃないんだ」
坂東はこうも言った。
「努力、稽古なんだ」
「才能は関係ないんですね」
「一パーセントの才能はな」
それこそもとだ、坂東は言うのだった。
「そんなのは零コンマ幾らかでもいいんだ」
「そしてそれ位ならですね」
「あるからな」
誰にもというのだ。
「だからな」
「それで稽古ですね」
「死ぬ様な稽古をしていけばな」
一パーセントの才能がなくともというのだ。
「才能はどうでもいいんだ」
「だからこそ」
「稽古だ」
それあるのみという言葉だった。
「それに尽きる、いいな」
「わかりました、それじゃあ」
「藤娘もだ、いいな」
「稽古に稽古を重ねて」
「藤娘になれ」
演じるのではなく、というのだ。
「完全にな、いいな」
「わかりました」
「寝る間もなくだ」
まさにというのだった。
「稽古をしていけ、わかったな」
「そうしていきます」
美津ノ助も頷いてだ、そのうえで。
彼は実際に稽古を重ねていった、それで舞台で藤娘をしたが。
その後でだ、彼は藤娘の格好のまま楽屋で師匠に言った。
「演じていました」
「まだだな」
「はい、まだしていました」
藤娘になるのではなく、というのだ。
「演じていました」
「そうだな、つまりだ」
「私はまだまだ稽古が足りませんね」
「藤娘についてもな、もっともな」
ここでだ、坂東は着物歌舞伎役者がよく着ているその服の袖の中で腕を組みながら直弟子に無念の声で言った。
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