第五十二話 井上大佐!バイオリン重いぞ!!その八
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「そして大団円となる」
「そこで大団円ですか」
「そんなのないですよ」
「ここまで滅茶苦茶書いた作品が大団円とか」
「普通の神経だと書けないですけれどね」
「当然だ、作者は普通と言われたことが殆どない」
本当にない、たった一人の人にだけそう言ってもらったことがあるが。
「だからこんなことが書ける」
「そういうことですね」
「普通じゃないからこんなことが書けるんですね」
「こんな作品で大団円とか」
「そんなことが」
「しかもハッピーエンドを考えているとのことだ」
本気である、作者は。
「最高のな」
「それってギリシア悲劇のハッピーエンドですか?」
「それともイタリアオペラのですか?」
ちなみにイタリアオペラの源流の一つそれもそのかなり重要な部分にギリシア悲劇が存在すると言っていい。
「誰かが死んでもハッピーエンド」
「その結末のあり方が美しいって奴ですか?」
「ヴェルディとかプッチーニそうですよね」
「椿姫なりマノン=レスコーなり」
前者はヴェルディ、後者はプッチーニの作品だ。
「登場人物死んでますけれど」
「どっちもヒロインが」
「救いがありますので」
「だからハッピーエンドですよね」
「某虚淵さん形式かも知れない」
この方のハッピーエンドはというと。
「誰かが死ぬがそれでも救いがあるな」
「はい、沙耶の唄もそうで」
「まどマギもそうでしたね」
「どっちもハッピーエンドですね」
「沙耶jはルートによりますけれど」
「そうしたハッピーエンドもあるのだ」
ギリシア悲劇、イタリアオペラ、そして某虚淵玄さんのタイプのものもというのだ。
「死ぬ、しかしだ」
「救いがある」
「そうしたハッピーエンドですね」
「作者は某虚淵さんはハッピーエンド志向って言ってますけれど」
「そうしたハッピーエンドなんですね」
「君達が死なないことは確定している」
そもそも殺しても死にそうにない、食事中にゴキブリを見た時の様に極めて腹立たしいことであるがそれでもだ。
「生き残ることはな」
「今の地の文凄いですね」
「ゴキブリですか俺達」
「しかも食事中に見た時とか」
「それ最悪じゃないですか」
「作者の君達への愛情の度合いの表現だ」
それでもあるのだ、実は。
「今のものはな」
「だからここまで書かれるんですか俺達」
「扱いがぞんざいで」
「徹底した屑に書かれる」
「そうした愛情からだったんですか」
「そうだ、それで君達は死なない」
まるで十三日の何とかのシリーズの主役の様にだ。
「不死身だ」
「ええ、死なないんですね」
「もう絶対に」
「結末まで生き残る」
「それ確定なんですね」
「そうだ、そのうえでのハッピーエンドだ」
この二人が何があっても死な
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