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深海棲艦の発生と艦娘の出自記録
南方接触事案
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接触記録
1929年7月1日〜1929年10月31日
この3ヵ月における漁業従事者の死者・行方不明者数が195名に上りました(農林省水産局調べにより判明している数です)。
これは海難事故における年平均数のおよそ5倍になります。
特に南太平洋での被害が多大でした。

被害が多発した海域は沿岸地域の住民からは"魔の海域"として恐れられていました。
古くからあるこの伝承が拍車をかけ、周辺地域一体で軽度で長期的な集団的恐慌の兆候が見られました。


1929年11月15日
周辺地域への精神的負担、他国からの侵攻の可能性を鑑みて海軍省は哨戒艇5艦に警備任務の命を下しました。
以下の哨戒艇が任務に就きました。

第四十号哨戒艇
第四十一号哨戒艇
第四十二号哨戒艇
第四十三号哨戒艇
第四十四号哨戒艇
第四十五号哨戒艇



事件記録─1929年11月18日

深夜、小笠原諸島周辺を警備していた第四十五号哨戒艇、第四十二号哨戒艇との連絡が取れなくなりました。
ほぼ同時刻に第四十四号哨戒艇から緊急通信、南遠方から爆発による光を確認したとの事でした。
数分遅れて小笠原諸島父島基地より同様の内容の通信が寄せられました。

第四十四号哨戒艇、第四十三号哨戒艇が爆発現場に急行。
到着時に発見されたのは艦体の僅かな残骸と乗組員の遺体のみでした。
艦本体は沈没したと見られます。
生存者は発見されませんでした。
近くに敵と思われる対象は発見されませんでした。

1929年11月22日
小笠原諸島父島基地からの連絡が一切途絶える
第四十四号哨戒艇からの観測により小笠原諸島の広範囲に渡って濃霧が発生しているとの通信が入りました(のちに濃霧の範囲はおよそ直径203kmと判明)。
第四十四号哨戒艇は濃霧への接近、可能な範囲での調査活動が命じられました。

第四十四号哨戒艇は小笠原諸島の北北西、濃霧との境界までおよそ2kmの地点で突如、艦砲射撃によると思われる攻撃を受けました。
第四十四号哨戒艇は即座に撤退を開始、被弾しながらも横須賀鎮守府に帰還する事が出来ました。
この攻撃により52名の重軽傷者、20名の死者を出しました。


聴取記録─1929年11月24日

伊賀崎特務調査員による聴取が行われました。

対象者:川崎茂 上等水兵
第四十四号哨戒艇の襲撃事件の生存者の中から体調が良好な者を選び聴取が行われた。


伊賀崎:さぁ、ここに座って。
伊賀崎:気分はどうですか?
川崎:特に問題は。私は幸運にも大怪我はしませんでしたから。
伊賀崎:それはよかった、先の事件について色々
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