第四章
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ドクトルもお逃げ下さい」
「わかっている、そうする」
「はい、必ずです」
「では君はだな」
「明日にでもこの国を発ちます」
亡命するというのだ。
「家族と共に」
「そうか、また会えればいいな」
「ドクトルに神のご加護があらんことを」
こう言って握手をしてからだ、学者はフルトヴェングラーの前から去り国を後にした。フルトヴェングラーは残り続け多くの者を庇い助けていった。
そして遂にだ、終戦末期にヒムラーからゲシュタポを向けられたが。
彼は間一髪逃げられた、そしてスイスを経由して脱出した。
戦後彼はナチスへの協力の嫌疑をかけられ音楽活動を禁止された、だが。
彼に助けられた多くの者がだ、こう主張した。
「彼は多くの同胞を助けてくれた」
「頼んできた人から顔を背けることはなかった」
「休む間もなく助ける為に動いてくれた」
「ナチスに協力して政治活動をしていなかった」
「ナチスの犬ではなかった」
こう主張しフルトヴェングラーの為に証言した、そして。
その証言が認められてだ、フルトヴェングラーの嫌疑jは晴れ音楽活動を再び行える様になった。しかし。
多くの者がだ、まだこう言っていた。
「いや、あいつはナチスの犬だった」
「ドイツの敵だった」
「ドイツがああなった責任の一旦がある」
「戦犯は戦犯だ」
「例え嫌疑が晴れてもだ」
「あの男はナチスだったんだ」
こう言っていた、音楽界の中でも。
それでだ、ある者が言った。
「あいつの演奏をドイツ国民が聞くものか」
「ドイツ人が一番わかっているからか」
「そうだ、あいつはナチスの犬だったんだ」
ドイツを廃墟にした彼等のというのだ。
「その犬の演奏を聴くものか」
「その時に答えが出るか」
「一番わかっているのは彼等だからな」
フルトヴェングラーの本心がというのだ、そして実際に。
ベルリン、廃墟となったドイツの中で最も徹底的に破壊された首都だった街で彼のその指揮による演奏が行われることになった。そのコンサートに。
ドイツ人達と飢餓と絶望の中でだ、自らの靴を売ってまでしてチケットを手に入れる者がいた。そうして集まった彼等は。
フルトヴェングラーに熱狂的な声援を送り彼を迎えた、そして彼の音楽を聴いた。これが答えだった。
ヴィルヘルム=フルトヴェングラーのナチス時代における発言や行動については今も様々な議論が行われている。軍事裁判以前にも審査が行われていたこともわかっている。
だが彼の本心は、そしてその行動はどうであったのか。筆者は多くの擁護派の人達の立場と同じ考えである。この一人の偉大な、ドイツの知識と教養を代表した音楽家の当時の姿を断片ながらここに書いたつもりである。読んで頂いたのならばこれ以上喜ばしいことはない。
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