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彼女は、蜜柑と伊予柑の区別がつかない。
彼女は、蜜柑と伊予柑の区別がつかない
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[9] 最初
。クリーム色のカーテンに向けて、小さくバイバイと呟くと、扉を閉めた。すると、失っていた現実感覚が急に、重たく胸に引っかかり始めたような、そんな気分になった。さっき自分がいたところが本当の居場所で、今自分がいるところは、全くの嘘なんじゃないかと思えた。
深呼吸を何度かしてみる。薬なのか、入院患者の匂いなのか、色々混ざった病院特有の香りが胸をつく。好きな匂いではないけれど、こうでもしないと、家路につくのが困難に思える程に、私は一瞬で疲弊していた。
落ち着いた、うん。そう呟き、足をエレベーターに向けた。
病院内はそろそろ夕食の時間だった。慌ただしい様子の廊下を、看護師さんに会釈しながら通り抜けていく。辿り着いたエレベーターの中で、階数表示を眺めながらもう一度深呼吸してみると、ようやく、自分が世界に溶け込めたように思えた。
病院を出て、駐車場あたりで携帯の電源を入れると、着信が二件入っていた。090‐××××‐××××。どちらも未登録の番号だったけど、母と叔母の二人だろうと推測できた。
私は母と思しき、十一桁をタップしコールボタンを押す。あくまでも折り返し目的で、普段ならコール音ばかり聞く羽目になるので、すぐ切ってしまう。今回もそうしようとしたが、時間帯的に余裕があるのか、最初のコールで母は電話に出た。
「もしもし。フミ? 今終わったの? おばあちゃんどうだった?」
「別に。いつもどおり元気だったよ。」
《いつもどおり》の確認作業を、私は出来るだけぶっきらぼうに答える。それを聞いた相手も、それほど追求してこないで、晩御飯の用意のことや、今日家にいないこと、叔母の洗濯物を選択して欲しい、などの連絡事項を一方的に告げ電話を切った。
一つため息を吐き、耳から携帯電話を離すと、暗い画面に暮れた空と目つきの悪い女の子が反射していた。私はそこから目を背けるように、四階のカーテンの掛かったあの部屋に思いを馳せた。
静謐な森の奥深くの、世界の果ての花園のような場所に、私の祖母‐井上未知花‐は入院している。
蜜柑を、黄昏を噛み締めた味だと、表現する感性の状態で、『智恵子妙』に心躍らせる、そんな感性の状態で、祖母はあの場所に存在している。
朗らかな顔のシワの寄りも、橙色に染められた九十九髪も、蜜柑を持ったその手の震えも、全く関係なしに、《未知花さん》はあそこにいる。
それはおとぎ話のような事実で、夢物語のような現実だった。
キラキラと光を反射する病院の窓から目を逸らし、こつりと、爪で音を立て携帯電話をポケットにしまった。



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