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雲は遠くて
104章  信也と竜太郎、芸術や僧侶の良寛を語り合う
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んなに深い付き合いはないですよ。
あっはは。まあ、『ルノワールは無邪気に微笑む』を書ている千住博(せんじゅひろし)さんが、
こんなことを言っているんです。
≪芸術とは、イマジネーションをコミュニケーションしたいと思う心のことです。
つまり芸術とは、気持ちを伝える行為そのもののことなのです。
つまり、人間は本来、みんな芸術的な存在なのだということです。≫とか・・・。
それで、千住さんは、われわれ、人類の歴史を、戦いの歴史だったととらえているようで、
この文章の終わりを、こんなふうにまとめるんです。
≪戦いの歴史とは、そんな《この体験のために芸術家でなくなってしまった人びと》の
歴史なのかもしれません。みんなが失った芸術性、
失いつつある芸術性を回復できればと思います。≫って言ってました。
おれも、人間は、みんな自然の美しさとかに感動できる詩人のはずだって思っているほうなんで、
千住さんのこの考え方には共感するんですよ。」

「なるほど、千住さんっていえば、ヴェネチアのビエンナーレの絵画部門で東洋人として、
初めて優秀賞を受賞した、すばらしい日本画の芸術家ですよね。
おれも、千住さんのお話には共感しますよ」

 そう言いながら、竜太郎は、カウンターの中のバーテンダーに、
ビールをまた1つ注文する。

「どんな子どもや赤ちゃんも、最初はみんな、心も()んで、きれいなはずですもんね!」

 そう言って、信也は、()げたての鳥の手羽を、おいしそうに頬張(ほおば)る。

「人は、子どもからオトナへと、生きているうちに、美しいものを美しいと思う心さえ、
忘れ去ったりする場合もあるんだろうね。しんちゃん。
その原因は、世の中にある、競争や戦争や、
いろいろな生きるための(きび)しさもあったりするんだろうけどね。
この前、NHKのEテレの『100分 de 名著』を見ていたんだけど、
日本の僧侶で、誰もが知っている有名な良寛(りょうかん)さんの詩歌とかを
特集していたんだけどね。しんちゃんも見てたかな?
その中で、良寛さんのこんな言葉があったんだよ。
≪暮らしのために生きることをやめ、世捨て人になってみて、初めて月と花を楽しむ、
ゆとりをもって生きることができました。≫とかね。
あと、
≪花は無心で(ちょう)を招いているし、蝶も無心で花を招いています。
花が開くと、蝶がやってきます。蝶が来たときは、花は共鳴するように開きます。
同様に、わたしも相手のことを気にしないまま、あるべきように対応し、
相手もわたしに無理に合わせるのでもなく、
その人なりに自由に振る舞って、
お互いに人としてあるべき、
自然の法則にしたがって、楽しんでいます。≫とかね。
なんて言ったらいいんだろう、しんちゃ
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