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執務室の新人提督
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「負けません……! 提督……私に力を!」

 ただの長距離の走りこみ一つにしても、身体能力が伯仲した両者の間には何か余人にとって理解し難い勝負的な何かがあるようで、司令官の為と叫ぶ長良も、祈るように提督と口にした神通も、恐ろしいほどに真剣であった。
 無論、提督からは二人の顔色など全く見えない。彼が知る情報は倉庫の隙間で跳ね返り続けている彼女達の声と足音だけだ。
 それでもやはり、それはきっと真剣なのだと提督には思えた。
 
 外套のポケットの中で、少々温くなった缶コーヒーを弄ってから提督は頭をかいた。
 その間にも、足音は遠ざかっていく。音が不規則に響き渡る様な場所でも、去っていく音は徐々に小さくなっていくものだ。
 そして、風だけが提督の耳を撫でるようになった。
 温くなった缶コーヒーをポケットから取り出し、プルトップを開けようかと考えた提督は、しかし思いなおした。
 まだ少しばかり、その温もりが必要だと思ったからだ。
 
 なんとはなしに見ていた倉庫群から目を離し、踵を返した提督は見慣れた影を幻視した。長く艶やかな黒髪、その髪によって隠された片目、そして独特な制服をまとった少女の姿だ。
 提督は暫し立ち止まり、目を瞬かせてその姿があっただろう場所を凝視した。
 だが、そこに人の姿などない。故の幻視だ。
 提督は小さく首を横に振って、ポケットから缶コーヒーを取り出してプルトップを開け――飲み干した。
 
 僅かばかりの温もりも、消えた。それでも、それでも。
 歩く歩く、ただ歩く。
 提督は一人、ただ歩く。
 
 どこをどう歩いたのか、提督にも判然としない物であるが、面白いものでその足は正確に鎮守府の中心部、提督の私室兼仕事部屋がある司令棟の廊下の上にあった。
 最近、どうにか提督にとって見慣れた鎮守府、となった場所であるが雪に彩られた鎮守府は常とは違った物で、散歩も寒さをのぞけば提督にとってはなかなかに乙な物であった。
 それは今歩く廊下も同じであるようで、白がのぞく窓の景色は、廊下に飾られた絵画のようで提督はそれを一つ一つ眺めながら、ゆっくりゆっくりと歩いていた。
 
 が、そこで一つ絵画が抜けた。
 いや、空気の交換の為に窓が開けられていただけであるが、提督には絵画が一つ抜けたように見えたのである。閉じようか、閉じまいか、と足を止めて考える提督の耳に、窓の向こうから声が届いた。
 
「明石さーん、司令官は普段酒保でどんな物を買うんですカー? 青葉気になっちゃいます」
「もう……お客様の事だから教えませんよ」

 青葉と明石の声だ。
 窓の下を、歩きながら会話を交わしているのだろう。なんとなく、二人がどんな相で言葉を交し合っているのか想像できた提督は、足を動かして窓へと近づいていった。
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