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冬を前にしても、窓を開ければまだ散りきらぬ金木犀の香りが部屋に漂う。
あぁ、まだ残っているのか、と僅かに顎を上げて目を閉じると、声が飛び込んできた。
「あ、多摩にゃん多摩にゃんおはよー」
「おはようだにゃ。でも多摩にゃんじゃねぇにゃー」
背後から聞こえてくる会話に、彼女は手に在る本に目を戻した。内容は古代中国春秋時代、運命に翻弄された夏姫を題材とした物だ。艦の頃から縁がある翔鶴から借りた本である。どちらかと言えば勇ましい戦国武将等の本を好む彼女は、読むまでは果たしてどうであろうか、と躊躇していたのだが目を通して見ると透き通るような心情の描写に惹かれ、時間を忘れて頁を捲っていたのである。
その手がとまったのは、部屋の窓が開けられ金木犀の香りが彼女の鼻をくすぐったからだ。
さて、次は楚を脱出した後はどうなるのだ、と続きに目を落とそうとするが、しかしそれは為されなかった。
「あ、川内ちゃん川内ちゃん、おはよー」
「んーー……? あぁ、おはよー……」
背後から聞こえてくる挨拶の応酬に、彼女は天井を仰ぎ見た。
その会話が気に食わない、その声が癇に障る、等という事は無い。ただ、悲劇という余りに巨大な濁流の中で、か弱い女一人が必死に耐え続け、ようやっと幸せに触れようか、という様な類の本を読むには、どうしても背後から聞こえてくる能天気な声を聞きながら、という訳にはいかないだけだ。
「あ、お鬼怒ちゃんお鬼怒ちゃん、おはよー」
「あぁ、おはよーさんだよー」
そして彼女は、手に在る本にしおりを挟んでそっと机に戻し、勢い良く背後に振り返って声を上げた。
「姉さん……!」
「……なぁに?」
彼女――矢矧は何か口にしようとしたが、振り返った際に目に飛び込んできた、何故か両手を上げて力瘤を作るようなポーズをとっていた姉、阿賀野の姿を見て、暫し黙った後弱弱しく首を横に振った。
「なに……それ?」
「お鬼怒ちゃんのポーズ!」
現在、この部屋に居るのは長女阿賀野と三女矢矧だけだ。
次女の能代と末っ子の酒匂は、阿賀野に貰った小遣いで甘味処で休憩中である。
その二人しかいない阿賀野姉妹の部屋は、下は川内、隣は球磨と長良、上に天龍、と見事に個性豊かな姉妹達に囲まれている。
この様な形で部屋に入居させたのは、元寮監の長良である。
鎮守府の艦娘が増え、後進の育成に集中したかった彼女は後任として当時鳴り物入りで着任してきた、まだ日の浅い阿賀野を指名した。
それだけ長良が阿賀野姉妹――当時はまだ酒匂着任前の、3姉妹であったが――に寄せる期待は、並々ならぬ物であったと言う事だ。
実際、能代はしっかりと寮監補佐として任務を果たし、ともすれば無
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