第三章
[8]前話
王は苦渋に満ちた顔でだ、家臣達に言った。
「徹底だ」
「えっ、何故ですか」
「エルサレムはもう見えています」
「このまま進軍すれば」
「そして攻め落とせば」
「駄目だ、後ろが危うい」
王は家臣達に強い声で告げた。
「ここは退く」
「後ろがですか」
「危ういからですか」
「斥候から報があった、敵軍が後ろに迫っていてだ」
そしてというのだ。
「後ろの補給路を絶たれる恐れがあるからだ」
「それでパンも武器も届かなくなる」
「だからなのですか」
「退く、ここはな」
そうするというのだ。
「わかったな」
「しかしエルサレムはです」
「あと少しですから」
「エルサレムを攻め落としパンと武器を手に入れては」
「そうされては」
「今軍勢にあるパンと武器が尽きる前に攻め落とせる保障はない」
王はあくまで強く言った、頑として。
「だからだ」
「ここは退くのですか」
「エルサレムを攻めずに」
「そうされますか」
「そうする、では撤退だ」
止めようとする家臣達にそれ以上言わせずだ、王は軍勢を退かせた。この時王は自分が持っている盾でだ。
エルサレムを自分の視界から目を塞いでだ、こう言った。
「聖地を奪還する力のない者には聖地を見る資格はない」
「だからですか」
「御覧になられないのですか」
「そうだ、聖地を見ることはしない」
自分にその地を取り戻す力がないからというのだ。
「私はな」
こう言ってだ、王はエルサレムに背を向けて振り返ることはなかった。そして王がエルサレムに来ることは二度となかった。
その話を聞いてだ、王の敵であるサラディン即ちサラーフ=アッディーンはこう言った。
「立派なことだ、キリスト教徒一の騎士だ」
「やけに戦いが好きで女子供でも容赦しませんが」
「イングランド王は騎士ですか」
「そう思う、見事な男だ」90
敵である彼にしても言うのだった。
獅子心王リチャード一世は確かに戦いに明け暮れ政治を省みることがなかった。血を好むところもありお世辞にもよき王とは言えなかった。
だが己に誓った約束は必ず守り軍人としては優秀で卑しい部分はなかった。その為今も彼の名は獅子心王という見事なものになっている。そして今でもその勇名は語り継がれている。その為したことは首を傾げるものも多いことを考えると幸運な人物であると言うべきか。しかしエルサレムでのことは事実でありこれは騎士としては立派名ものと言っていいであろう。そのことを書き筆を置くことにする。
獅子王の無念 完
2015・6・12
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