第十一幕その二
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「美味しいよね」
「これがお抹茶なんだね」
「日本のお茶だね」
「日本にはかなりの種類のお茶があるけれど」
それでもともお話した先生でした。
「茶道で使うお茶はこれだよ」
「このお抹茶だね」
「千利休さんも飲んでたね」
「それだね、じゃあ利休さんもだね」
「うん、このお茶をね」
まさにというのです。
「煎れて飲んでいたんだよ」
「そうなんだね」
「日本では大体利休さんの頃からお茶が普及しだしたんだ」
「それまではお水ばかりだったんだね」
「そうだよ、けれどその頃から皆お茶の葉を植えだしてね」
そうしてというのです。
「飲む様になったんだ」
「それまでは凄く高かったんだよね」
「それで飲める人も限られていたんだ」
「けれどそれがなんだ」
「そう、利休さんの頃からね」
時代で言うと戦国時代の終わりか安土桃山時代、その頃です。
「皆飲める様になったんだ」
「じゃあ日本でもお茶が飲める様になったのは比較的新しい時代ですね」
トミーは先生のお話を聞いてこう言いました。
「イギリスよりも古いですけれど」
「そうだよ、中国では五代にお茶が大好きな王様が出てその人から流行りだして」
そしてというのです。
「少し時間をかけて皆が飲む様になったんだ」
「中国がお茶のはじまりの気がしますけれど」
「あの国でもなんだ」
「皆が飲む様になったのは新しいんですね」
「比較的ね」
「昔から皆が飲んでいるものじゃなかったんですね」
「栽培されていなかったからね」
広くです。
「だからそれは仕方ないよ」
「そういうことですね」
「そうだよ、けれど僕もね」
「先生もですね」
「お茶がないと駄目だよ」
笑って言う先生でした。
「毎日何時でも飲めないとね」
「駄目ですよね
「コーヒーはあまりで」
「飲むのならですね」
「お茶だよ」
やっぱりこれが第一だというのです。
「何といってもね」
「お抹茶にしてもですね」
「そうだよ、お茶じゃないとね」
先生は、なのです。
「駄目なんだよね」
「毎日いつも飲まないと」
「元気が出ないよね」
「だからね」
それで、と言う先生でした。
「今も飲むよ」
「お茶を飲んでからだね」
「診察に行くよ」
こう言うのでした。
「ダイオウグソクムシ君へのね」
「お茶を飲んでリラックスして」
「そうしてね、やっぱりお茶を飲む余裕がないと」
「ことは上手いかないものだね」
「そうだよ、余裕なくしても」
「気持ちのうえでもね」
「勿論時間的にも物質的にもね」
お金の場合もというのは言うまでもありません。
「余裕がないとね」
「そうだよね、特に気持ち的にね」
「いつもお茶を楽しめるだけの余裕が欲しいね」
「先生
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