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大切な一つのもの
29部分:第二十九章

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第二十九章

「御前は話には」
「御聞き下さい」
 咎めようとした兄にそう返します。
「ここは。どうか」
「どうしてもなのか?」
 主は妹である娘に対して困った顔を見せて言うのでした。
「ジークリンデよ」
「御願いします、兄上」
 また兄に頼みます。
「どうかここは」
「あくまで貫き通すか」
 彼はどういうわけかここでは退きました。
「御前は。全く」
「申し訳ありません。ですが」
「よい」
 困った苦笑いになっていました。
「たった一人の妹なのだしな。それでだ」
 また妹を見ます。
「何をするつもりなのだ?」
「騎士様は決められないのですか?」
「ええ、まあ」
 騎士はその困惑した顔をそのままにして答えます。
「何を言うべきか。困っています」
「それではですね」
 娘はそれを聞いてまた騎士に言うのでした。笑顔で。
「私が代わりに御願いして宜しいでしょうか」
「貴女がですか」
「はい」
 また笑顔で頷きます。笑顔がさらに晴れやかになっていました。まるで顔から溢れんばかりの晴れやかな笑顔です。
「宜しければですが」
「わかりました」
 騎士は彼女の言葉を受けて頷きます。
「それでは。御願いできますか」
「はい。図々しいことを御願いして申し訳ありません」
「確かに図々しい」
 主もかなり困ったような顔で妹に言います。呆れてすらいるようです。
「そんな願いをするとは。しかしだ」
「ええ」
「何を願うつもりなのだ?」
 そう妹に尋ねます。
「よかったら教えてくれないか」
「それはですね」
 娘の顔が急に赤らんできました。それはまるで恋をするかのように。
「あの、兄上」
「うむ」
「どんな御願いでも宜しいですね」
「人の不幸になるもの以外はな」
 毅然として答えました。彼としても約束を破るつもりは全くありません。それで毅然として答えたのです。そこには妹である彼女への甘さもありました。
「いいぞ」
「わかりました。それでは」
 その赤い顔で騎士をまた見ました。
「騎士様」
「はい」
 騎士も彼女に応えます。しかし彼は何が何なのかわかっていません。
「私は貴方が欲しいのです」
「えっ!?」
「何っ!?」
「何とっ!」
 その言葉を聞いて驚いたのは騎士と主だけではありませんでした。屋敷にいる者全てが驚いてしまいました。これも当然でした。
「姫様、今何と」
「狼の騎士が欲しいなどと」
「約束して下さいましたよね」
 娘は兄の顔をじっと見て問い掛けます。その目は彼から離れません。

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