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ドリトル先生の水族館
第七幕その十

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「そうしたものだよ」
「世の中完璧なことはないんだ」
「この世には」
「いいものばかりじゃない」
「そういうことだね」
「完璧なものは神様だけなんだね」
「うん、そうだよ」
 ここでもキリスト教徒としてお話した先生でした。
「神様だけが完璧でね」
「人間は違う」
「人間はどうしても完璧じゃないんだね」
「人が作っている世の中も」
「決して完璧じゃないんだ」
「そう、けれど完璧に近付くことは出来るよ」 
 ここでこうも言った先生でした。
「少しずつだけれどね」
「完璧にだね」
「神様の完璧さに近付けるのね」
「完璧にはなれないけれどね」
 それでもというのです。
「人は少しずつ近付いていけるのよ」
「そうなんだね」
「人は少しずつなのね」
「完璧になれる」
「そうなのね」
「そう、努力していけば近付いていけるよ」
 神様にというのです。
「少しずつでもね」
「成程ね」
「それが少しずつね」
「近付いていく」
「そういうものなんだね」
「そうだよ、人は完全じゃないからいいのかもね」
 かえってというのです。
「困ったことがあるからそれをなおしていこうと思ってね」
「実際になおしていく」
「そうして努力するからなんだ」
「人は成長していく」
「そういうものなのね」
「そうかもね。だから僕もね」
 先生もというのです。
「努力しないとね、ただスポーツとか家事は」
「うん、先生はね」
「ちょっとでもするとね」
「何かね」
「大失敗ばかりで」
「全然出来ないのよね」
「そうしたことは」
「努力するべきかな」
 スポーツや家事もとです、先生は自分でお話したことからあらためて思いました。
「そうしたことも」
「いや、先生がスポーツ出来るとかね」
「家事万能とか」
「もう先生じゃない?」
「スポーツをしてスマートになった先生とか」
「エプロン着てお料理を上手に作る先生とかね」
 それこそというのです。
「先生じゃないよ」
「もう先生じゃない」
「そうした感じがするわ」
「どうしてもね」
「そうなると僕じゃないんだ」
「そうだよ、ちょっとね」
「そうなるとね」
 スポーツが出来てです、家事も出来る先生ならというのです。
「違和感あるっていうか」
「先生に思えないわ」
「やっぱり先生はね」
「そうしたところも先生だから」
「スポーツや家事が駄目なところも」
 そうしたところも含めてというのです。
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