巻ノ十五 堺の町その七
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「あまりな」
「殿もですか」
「茶道の作法はですか」
「そうなのですか」
「あまりしたことはない」
実際にというのだ。
「真田家が武田家にお仕えしていた頃は四郎様にご相伴を預かったことがあるが」
「武田家の主の」
「四郎勝頼様に」
「そうさせてもらったことがある、しかしな」
それでもというのだ。
「確かにしたことはない」
「茶道でしたら」
ここでだ、言って来たのは筧だった。
「それがしが少しですが」
「知っているか」
「はい、それがしで宜しければ」
是非という申し出だった。
「いいでしょうか」
「頼めるか」
「はい、それでは」
こうした話をしてだった、筧は主と同僚達に茶道での飲み方を教授することになった。そのことを話して決めてだった。
一行はその茶を外で飲む場所に向かった、すると。
そこではだ、誰もが楽しく茶を飲んでいた。敷きものを敷いてその上に座って木の下や花の横で茶を飲んでいる。
その様子を見てだ、根津は首を傾げさせてこう言った。
「はて、茶道にしては」
「砕けておるな」
「うむ、そうじゃな」
霧隠にこう答えた。
「これは」
「岐阜の茶道はな」
「かなり真面目じゃな」
「前右府殿が無類の茶好きでな」
「それで茶室も多かったな」
「しかしじゃ」
それでもというのだ。
「どの人も生真面目に飲んでおった」
「こうした砕けたものではなかったな」
「前右府殿は傾いておられたがそうしたことは真面目じゃった」
締めるべきところは締める、それが織田信長だったのだ。
「だからな」
「それでか」
「うむ、生真面目じゃった」
そうだったというのだ、岐阜の者は。
「誰もがな」
「そうだったな」
「御主が知っている茶道もじゃな」
「そうだった」
実際にとだ、霧隠も答えた。
「わしが知っておる茶道もな」
「そうじゃな、この茶道はな」
「見たことがない」
「これが茶道と言われると」
「どうも違うな」
「そう思うが」
しかしとだ、話す二人だった。
そして望月は幸村にだ、こう言ったのだった。
「茶と一緒に口にしているものも」
「うむ、干したものなり生のものなりな」
「果物fが多いですな」
「菓子もあるにはあるが」
「普通の町人達は果物ばかりです」
生にしろ干したものにしろだ。
「後は米や豆を炒ったもの等で」
「色々じゃな」
「やはり菓子は高いです」
町人達が口にするにはだ、だから中々普通に口に出来ないのだ。
「だからですな」
「そうじゃな、しかし」
「拙僧としてはいいですが」
こう言ったのは清海だった。
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