88話
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象するための言葉。単なる手心地の良い言葉ではない。それは傷のある言葉―――銃弾を撃ちこまれ、ジャックナイフで抉られ、生々しく口を開けた〈痕跡〉を覆う瘡蓋、その下にぐずぐずに膿んだ静謐の大地をはらんでいるはずのエクリチュール、それを通して、微かにだけ、エレアという少女の〈他〉の影が視界に霞む、そんな詩。
それは影でしかない。しかし、それでも、彼女は笑顔を見せてくれた。愛してる、と口にした。
愛の真偽判断を何になしていいのかはわからない。世間に溢れているくだらない愛が、あの綺麗なだけの薄っぺらな情念が、口当たりの良いあの愛とやらが本当の愛かはわからない。
だから、彼女の気持ちが、己の気持ちが愛なのかはわからない。義務的に自分を想ってくれる彼女のパシオーを命名することなどできはしまい。エレアのそれは常人の理解を超越している。エレアは異界の人であり、荒れ地に打ち捨てられた娼婦であり、無数の「ひと」に囲まれた孤児である。
だが。
だが、彼女の思いを、彼女の誠実を、それを偽りだなんて呼ばせない。
彼女の名前を口にする。唇がその形に強張り、滑らかな発音となって舌が動く。
生死は問わない、と少女は言った。その言葉の重さを否定することはしない、否定する資格など己にない。
ない、けれど。
クレイは自分の右手にあるディスプレイに視線を移した。
左側の部分から露出した部品。あれを押し込めば、サイコ・インテグラルとかいうこの機体に装備されたシステムが完全な形で作動する。そうすれば、そうしなければ―――エレアに勝てない。エレアを助けられない。《Sガンダム》を確保できない。
少女が最後に口にした言葉が脳の皺に引っかかる。
5分以上使えば、使えば―――。
息が荒い。呼吸が出来ない。肺が裂けているらしい。折れた肋骨の切っ先が肺を貫き、流出した血液が肺の下の方に溜まっている。
身体で無事なところなんてない。視界は相変わらず罅だらけな上に真っ赤で、目からは何かの汁が垂れ流しだ。心臓は狂ったように暴れながら肥大化し、その癖身体はぞっとするほどに冷たいと思えば、焼かれるように熱い。1秒経つごとに脳細胞がどんどん死滅していき、もう知能指数は半分以下になっている。
―――それがどうした。己がどれだけ壊れようとも、朽ち果てようとも、一体それにどれほどの問題が在ろうか。
「エレア」
泣いているあの子の声なんて、聴いていたくないから。あの子には、ずっと笑っていてほしいから。
「エレア」
恐い、というように使用され命名される純粋時間の感情を、理性と覚悟だけで捻じ伏せる。
どれだけ抑えつけても恐怖が大地の下で荒れ狂う。不安だけで頭がおかしくなりそうになる。
その全ての情念の空虚に身を打たれながら。
「―――エレア!」
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