第4話
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ったが、優大が演劇部に入った時には既に脚本を一つ書きあげていた。これが彼の処女作であるのだが、優大はその内容を見せられた時、何が原作であるかがすぐに分かった。少年漫画雑誌に連載されていた人気作品であったからだ。優大ははじめ、吹き出しに書かれていることをそのまま写しただけじゃないかと馬鹿にしたが、その脚本に二十話分のストーリーが詰められているというのを聞いて、あわてて本屋で単行本を買って確かめてみた。読み終えた後にまた脚本に目を通してやれば、アニメ化すればもっとかかるようなストーリーを、たった四十五分の演劇に収めているのである。「どうしたらこうなるんだ」と興味津々で尋ねると、智は鞄の中からもさっとした何かを取り出した。
取り出したものは付箋が貼られて倍に膨れ上がった単行本であった。どのページを開いてみても感想と考察がびっしりと余白を埋めていたのだ。優大が買った物と同じ本だとは到底思えないだろう。この単行本は土下座をして智から譲り受けて以来、優大の部屋に『福音書』と称して大切に飾ってある。
「要は、人間の記憶能力なんだよ」と、目を白黒させている優大に智は言い放った。
彼の理論はこうである。人は小説や漫画を読むとき、どうしても断片的に読んでしまうものらしく、その理由は様々だと言う。例えば、物語が進行するにつれて次第にその世界に惹きこまれ、「早く次のストーリーが知りたい」という心理が働いて、読む速さが上がったりもすれば、難しい説明や退屈な場面では「この場面から早く抜け出したい」という心理が働いて、ついつい読み飛ばしがちになったりするらしいのだ。この二つの精神状態をうまく利用することで、原作を熟読して個々の場面を完全に記憶していない限り、観客の目を容易に欺くことができるのだと彼は語った。
智のこの才能は、彼が小学生の頃にはすでに発揮されていた。物語のあらすじや論説文の主張をコンパクトに要約する能力は、彼の読書感想文を大いに際立たせたことだろう。
さて、智は相変わらず図書館棟で、件の演目の原案について考えあぐねていた。
『月姫町納涼祭り』は町内商店街から月姫神社の境内へと続く一本道に、色とりどりの提灯や装飾品を掲げ、多くの出店がここぞとばかりに軒を連ねる、夏の風物詩の一つである。残暑も終わりの色を見せ始め、さわやかな秋の香りを運ぶ風が首筋を撫でる中、温かみのある提灯が穏やかに照らす夕刻の沿道は、夏への名残惜しさを来る秋への期待へと塗り替える、幻想的な光景を見せてくれる。
このような特色の祭りであるから、奇抜だったりウケを狙うような演目はもちろんご法度である。そして何より、お代が『秋』である。真夏の火照った体を冷やす『秋』である。智はぜひ情緒にあふれる演目にしたかった。
紅葉の秋、食欲の秋、読書の秋、芸術の秋
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