case.5 「夕陽に還る記憶」
\ 同日 PM4:07
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オルガンの響きが大学全体に響いた。多分、外で働いている人達は目を丸くしていることだろう。まさか、こんな状況で演奏を始めるとは思いもしないだろうからな…。
俺はまず、幻想曲とフーガを演奏した。バッハは幻想曲とフーガをオルガン用に三曲残し、内一曲のフーガは未完成で伝えられている。
俺が演奏したのはBWV.537の番号が与えられているハ短調のものだ。溜め息の音型が特徴的な曲で、心の憂いを浮き彫りにしているこの幻想曲とフーガは、この場で演奏するに相応しいと思ったのだ。
オルガンが響き始めると、外のざわめきがまるで嘘のように感じられる。俺はそんな中で、利用された栗山亜沙美について考えていた。彼女は、一体なにを感じていたのか?なぜ霊は彼女に古い記憶を投影したのか…?彼女自身にも、きっと胸の奥にしまい込んだ感情があるはずなんだ。いつも忙しい父と母…。心の中の奥底に、彼女はなかなか帰らない両親への淋しさや不安、憤りさえ押し込めてきたのかも知れない…。
霊は…亜沙美と朝実のそんな感情を利用した。発端は朝実の実の父親、栗山虎雄だが…その虎雄を傷付けて感情を殺させた虎雄の父親が、この件の源になっていると思う。だが、それを知るすべは既に失われ、残された感情だけが蠢いている…。
- 皆死ねばいい! -
確かに…朝実は一瞬そう思ったかも知れない。だが、一瞬だったはずだ。その刹那が、霊には都合がよかったんだ。人間を欺ける…人間を自分達と同じ獄に入れられる…。
よく言われることだが、霊は善良なこともすると…。しかし、それは違う。人間は見て、触れて、感じられるものしか把握出来ない生き物だ。一体誰が、自分を虐げ続けるものを信じるだろう?だから…霊は善良ふりをする。その内に邪悪を孕ませながら…。まるで恋愛と同じ…人間はその善良な面しか見えず、盲目に信じてしまう。
霊とは…いや、太古の霊とは、そういう薄汚いやつらなんだ…。
- 音を…! -
彼女…朝実の最期の願いは、きっと安らげる音楽だったに違いない。全てを信じられなくなっていても、心に響く音楽は信じられただろう…。その願い…叶えよう…。
俺は一曲目の演奏を終え、控えていた皆に合図を送った。岡田は静かに指揮棒を振り上げると、そこから静かに音が溢れでた。
柔らかなオーボエの旋律が印象的なバッハのカンタータ第82番“我は満ち足れり"。信仰心から得られる深い安らぎを音楽で表現したカンタータであり、朝実の最期の願いに答えられる音楽だと考えた。
朝実はなぜかバッハの“クレド"に魅せられていた。昭和六年当時は、現在の様な演奏とはまるで楽器が違っただろうが、それでもバッハを気に入っていたことは確かだ。宗教的な感情もあっただろうがな…。
音楽はつつがなく進行した。このカンタータは宗教的
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