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逆さの砂時計
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くり開いた薄い緑色の虹彩が、額から離れていく男の手を見上げた。

「レゾ……ネクト……」

 金髪の男が、紫色の目を細めて美しい女を見つめる。

「……お帰り、アリア」

 レゾネクトの右手のひらが、アリアの頬をふわりと包み込み。
 涙で濡れた両の目元に口付ける。

「アリア……ッ!」

 ベゼドラが、殺意溢れる瞳で二人を睨みつけた。
 怪我が治りきってないせいか、まだ身動きはできないらしい。
 唇や(あご)の周りを神父の血でベットリと濡らしている。

 アリアは静かな瞳で彼を見下ろし。
 レゾネクトから離れて立ち上がると、何もない空間に右手を掲げた。

 宙空にふわりと、薄い緑色の光の繭が現れる。
 その内側で。
 漆黒の短い髪と褐色の肌を持つ、三十代前半くらいに見える男が。
 目蓋を閉じ、膝を抱えた姿勢で丸くなっていた。
 まるで、胎児のように。

「ベゼドラ。貴方を封印から解放し、人間の器の主導権を神父に返します」
「…………ッ!!」

 ベゼドラの目が、これ以上ないほどの憎悪で満たされる。
 必死で上半身を起こそうとするが。
 神父の体は今、彼の意思に従える状態ではない。
 無駄に足掻こうとする姿を横目に、レゾネクトがくすくすと。
 とても愉しそうに肩を揺らしている。

「……アリアぁあ……ッ!!」

 まさに血を吐く叫びが、礼拝堂中に響き渡った瞬間。
 アリアの全身から淡い光が溢れ出し。
 教会の敷地内を余すところなく照らした。

 数秒後に光が消え去ると、礼拝堂はすっかり元通りに整えられていた。
 引き裂かれたタペストリーも、吹き飛んだ椅子も、裂かれた祭壇も。
 一連の騒ぎのせいで辺りに舞い散っていた砂埃でさえ。
 何事もなかったかのように、早朝の暗闇の中で鎮座している。

「では行こうか……アリア。俺達の契約は果たされていない。世界はまだ、お前の物ではない」

 アリアは宙に浮かぶ光の繭を解き、褐色の男の体を手元に引き寄せて。
 気を失っている神父の体の横に並べて寝かせた。
 赤黒く染まっていた長衣が、新品と見紛うほど真っ白に戻っている。

「…………」

 細い指先で、神父の黒い前髪をそっと撫でて立ち上がったアリアは、

「……ええ。行きましょう。私の契約者、レゾネクト」

 レゾネクトが差し出す右手に左手を重ねて、目蓋を閉じた。
 その瞬間に二人の姿が消え、礼拝堂は早朝の静寂に支配される。
 そして……
 
 夜明けを迎え、世界に光と色彩が戻り切った頃。
 いつも通りの時間に訪れた礼拝客が見た教会は。
 どこもかしこも鍵が開かれたまま。
 (もぬけ)の殻になっていた。


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