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黒魔術師松本沙耶香 仮面篇
32部分:第三十二章
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第三十二章

「それがわかれば。本当の日本通よ」
「表には出ない怖さじゃな」
「ええ」
 老婆の心に頷いた。
「そういうことね。あの道化師は仮面に色々なものがはっきりと出ていたけれど」
「現実は違うのか」
「そうね。幻想の方がはっきりしているもの」
 沙耶香は言う。
「現実は。さらにわからないものかもね」
「やれやれ。難しいことじゃ」
 老婆はまだ能面を見ていた。それを見ながら沙耶香に答えるのだった。
「人というものは」
「私も。まだまだ人について学ばなくてはいけないわね」
 そこまで言うと踵を返すのであった。
「これからもね」
「そう言って何処へ行くつもりじゃ?」
「帰るのよ」
 そう老婆に答えてみせた。
「大人しくね」
「そう言いながらあれじゃな」
 老婆は今度は沙耶香を見ていた。そうして彼女を見て含み笑いを浮かべながら述べるのであった。
「またおなごを抱くのじゃろう」
「さあ。それはどうかしら」
 横顔が笑みになっていた。目元と口元だけで笑っていた。そう笑うと実に何かを隠していることがわかる笑みに見える。彼女は実際にそれをわかってそうした笑みを見せているのである。
「わからないわね」
「そう言って主が女を抱かなかった時はないと思うのじゃが」
「会えばわからないわね」
 それが彼女の答えであった。
「会えればね」
「では会うことを祈ってやろう」
 老婆もまた笑って言うのであった。
「主が美女にな」
「御礼を言わせてもらうわ。それじゃあ」
 沙耶香は老婆に完全に背中を向けて歩きはじめた。
「これでね」
「うむ、またな」
 老婆も沙耶香に挨拶を返した。
「今度はゆっくり飲みたいものじゃ」
「それで思い出したわ」
 ここで沙耶香は。背中越しに老婆に何かを投げてきた。それは。
「ボトルか」
「バーボンよ」
 背中の向こうの声は微かに笑っていた。
「もう一つプレゼントしておくわ」
「ほう、気前がいいのう」
「私も一本持っているし」
「まあアメリカに来たらこれじゃな」
「ええ」
 言葉の向こうで何かを開ける音がした。その次に飲む音が。
「やっぱり。ストレートが一番ね」
「ほうほう、朝からか」
「私はいいのよ」
 笑っての返事であった。
「別に朝から飲んでも。魔術師は困りはしないわ」
「確かにのう。それではわしも」
「ええ、どうぞ」
 沙耶香はバーボンをそのままストレートであおりながら老婆に対して述べるのであった。その独特の香りといがいがした感触を味わいながら今ニューヨークを後にするのであった。そうしてそのまま戻るのはまたあの魔の都とそこに集う美女達の胸の上であった。


黒魔術師松本沙耶香  仮面篇   完



           
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