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逆さの砂時計
ロザリア
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…。気分悪ぃ……」

 手に残る嫌な感触を払おうと、右腕をブンブン振り回していたら。
 石造りの壁に思いっきり指先をぶつけてしまった。
 小指がありえない方向に曲がっても、力を使えば元に戻った。

 だというのに、感触は消せない。
 人を傷付けてしまった感触だけは、どうやっても消せないのだ。
 少女は、神父のせいだ! 知るもんか! と、愚痴を並べ立てるが。
 不覚にも、涙が溢れて止まらない。

「……むかつく……っ」

 同じ町の中。
 さっきの場所とは違う裏路地で、建物に背中を預けて地面に座り込んだ。
 少女の気配に気付いたらしいネズミが、物影から飛び出していく。
 それを見送りながら膝を抱えた瞬間、掴まれていた左手首が疼いた。
 治療しても残る神父の手の感触が、少女の背筋に寒気を誘う。

 空間移動。
 この力を少女が使えるようになったのは、少女が少女だと自覚したまさにその瞬間だった。

 記憶の始まりは、朽ちた石造りの神殿。
 折れて崩れた柱や壁が周辺に散乱する廃墟のまんなかで。
 何故か、見も知らぬ下品な男数人に囲まれていた。
 突然腕を掴まれ、石床の上に組み伏せられ、衣服を破られ。
 無理矢理両脚を開かれた瞬間、少女は別の場所に居た。
 正確には、少女に触れていた男達も一緒に移動していたのだが。

 助けてと願って転移した場所は、そこもまた、見知らぬ町のどまんなか。
 いきなり現れた少女達に驚いた町人達だったが、少女のあられもない姿に気付いた数人が男達を取り押さえ、その場は無事で済んだ。

 しかし。
 記憶も無い、身寄りも無い、明らかに何らかの問題を抱えているボロ姿のみすぼらしい女子供を拾ってやろうという親切な人間がいる筈もなく。
 少女は、荒れ果てた下町を渡り歩く浮浪児になった。

 時には施しをくれる優しい人間もいた。
 生きる術を教えてくれる悪友もできた。
 体目当てに嘘を吐いてすり寄る気持ち悪い男や、強引に襲いかかってくる獣じみた男の方が圧倒的に多かったが、それらは空間移動で巧く避けた。

 男に組み敷かれて怖いと思うだけの清純さは、とっくの昔に棄てている。
 世の大半は餓えた野獣だ。怯えるだけ無駄。
 もちろん、そんな連中に喰われるつもりはない……が。

 少女が誰かを自分の手で物理的に傷付けたのは、これが初めてだった。
 幸いにも逃げる術があって、武器を持つ必要がなかったから。

 神父の手を刺し貫いた感触が骨にまで染みついて、少女の体を震わせる。
 それが野獣共に襲われる以上に怖いことだったとは、思いもしなかった。

「……なんなんだよ、くそ……っ」

 人を傷付けた感触が、青白く染まった神父の笑顔を少女に思い出させる。

 
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