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存在しない男
存在しない男
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 彼は編集長に対して頷いてそう答えた。
「一応バルセロナの記事はここに」
「うむ」
 原稿を受け取る。
「カメラマンは何処かね」
「彼は後の車両で来ます。ちょっと寝過ごしたようで」
「まあ仕方ないな」
 何処となくのんびりした国である。この程度のことは許された。
「それでは写真は後のお楽しみということで」
「はい」
「今の楽しみを聞かせてもらいたいが」
 そう言って身を乗り出してきた。彼は編集長の大きな顔を間近で見ることになった。口から葡萄酒と大蒜の匂いが漂っている。スペイン料理を食べたのは明らかであった。それは彼も同じであった。
「いいか」
「はい」
 彼は答えた。まずは真摯な顔になった。
「ここへ戻る汽車でですがね」
「うむ」
「私は一人の男に出会ったのですよ」
 もったいぶってそう話す。
「男なぞ幾らでもいるぞ」
 編集長はそれを聞いて面白くなさそうに答えた。
「美人だったらよかったのだがな」
「残念なことですが」
 彼はそれに対してそう言葉を返した。
「バルセロナの美人は全て私が撃墜してきました」
「それはよかった」
「ははは」
 冗談を交えた後で再開した。
「それでですね」
 彼は真面目な顔になった。
「うむ」
 編集長もそれに合わせる。
「私が会ったその男ですが」
「誰だったんだね」
「一人の修道僧でした」
「カール五世だったとかそういう話だったらもう間に合っているとだけ忠告しておく」
 ヴェルディのオペラ『ドン=カルロ』のことを言っているのである。これはヴェルディの傑作の一つでありこのスペインを舞台とした作品である。この中でカール五世が出て来るのである。悩める主人公ドン=カルロを天界に導く霊として。
「残念ながら彼ではありませんでした」
「では誰だ」
「おそらく世界中で知られている者です」
「世界中か」
「はい」
 彼は答えた。
「うちの総統ではないな」
 フランコのことである。
「御言葉ですが彼よりもずっと有名な者です」
「ローマ法皇」
「それでしたら今頃ここに緋色の衣を着た枢機卿が心配そうな顔でやって来ているでしょう」
 法皇ともなるとお忍びでは動けないものだ。
「では誰だ」
「おわかりになられませんか」
「残念だがな」
 編集長はいい加減痺れを切らしかけていた。
「ここまで言われても何が何だかわからん」
「そうですか」
「ヒントをくれ、ヒントを」
「死んだ筈の男です」
「死人なぞ今生きている人間より多い。誰でもいる」
「有名な死んだ男です」
「それでもヒントが足りない」
「それではもう一つ」

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