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アンジュラスの鐘
9部分:第九章
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はもうある筈のないものであった。
「まさか本当にあるなんて」
 神父もその中にいた。彼は今自分の目の前にあるものを見て涙を流していた。
「あの爆弾で街も全部壊れてしまったのに」
 老人がその隣にいた。そして感慨を込めて呟いていた。
「まさかこれが残っていたなんて」
「奇跡ですね」
 神父は思わず言った。
「奇跡ですよ、本当に」
「そうですよね、奇跡ですよ」
「まさかこれが残っているなんて」
 彼等の前には鐘があった。この教会の鐘だった。もうなくなってしまったと思っていた鐘がそこにあった。それさえあれば、と思っていた鐘がそこにあったのだ。
「嘘みたいですよ」
「けど嘘じゃないんですよ」
 老人は涙を流し続ける神父に対して言った。
「鐘があったんですよ」
「はい・・・・・・」
「鐘は残っていましたよ、あんな爆弾を落とされたのに」
「まさかあったなんて」
「確か鐘って二つあったよな」
「ああ」
 少し離れた場所で若者達が話をしていた。
「こっちは大きい方だよな」
「小さい方は駄目かもな」
「けれど鐘はありました」
 神父はそれでも感慨を込めて呟いた。
「ここに確かに」
「はい、それも傷もなく」
「希望は残っていました」
「神のですか?」
「いえ」
 神父はその言葉には首を横に振った。そしてこう述べた。
「日本の希望が。私達はまた立ち上がれます」
「また」
「はい、今はこの鐘を主の場所に移しましょう」
 ただここに置かれているだけでは何にもならない。神父は次に何をするべきかはっきりとわかっていた。
「クリスマスには鐘を鳴らして」
「主の生誕を祝うのですね」
「そうしましょう、そしてその時は」
 希望が胸に沸き起こるのがわかった。廃墟になってしまった長崎の街の中での話であった。まだ夏の暑さが残る、そんな日の夕刻のことであった。
 そしてクリスマスになった。仮設の支柱に備え付けられた鐘。その前に神父はいた。
「本当にあったんじゃな」
「ああ、まさかとは思ったが」
 そこには神主と僧侶もいた。そして鹿屋から帰って来た牧師もそこにいた。四人は戦争が終わってようやくまた集まることができたのであった。
「原子爆弾を受けたのに」
「傷一つなく」
「これが奇跡なのですよ」
 神父は彼等にこう言った。その目は鐘に向けられている。
「たった一発で街を、人の身体さえも消し去る爆弾を受けても」
「鐘は残ったのか」
「瓦礫の山に」
「何か嘘みたいな話ですね」
「けれどこれは嘘ではありません」
 神父はまた言った。

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