5部分:第五章
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何も言えなかった。だがこの人豚を見て以降彼は全てに絶望したのか酒色に溺れ程なくして死去した。呂后はこの後漢の実質的な主となり呂家は専横を極めることになる。そのうえで彼女により多くの血が流れるのだった。
これは司馬遷の史記呂后本紀にある話である。これだけ読めばこの呂后という人物は途方もなく残虐な人物に見える。
しかしこの時代だけでなく何時の時代も宮廷、後宮という場所は陰謀が渦巻く場所であり陰惨な話には枚挙に暇がない。仮に戚夫人が権勢の座についたなら呂后の方が殺されていたであろうことも充分に考えられることである。
この史記呂后本紀の最後に司馬遷は呂后の時代は平穏であり民衆は泰平を謳歌していたとある。またきとしているところから彼女を帝王とみなしていることがある。この辺りは同じく帝王として紀としてその生き様が書き残されている項羽と同じである。
司馬遷が呂后に対して本当のところどう思っていたのかは今だに諸説があり完全にははっきりとわからない。しかし最後の一文が彼女を擁護しているように見えることも事実だ。確かに彼女は残虐であったがそれは当時の彼女のいた世界では普通でありそして政治家としては穏健で太平をもたらしていた。これもまた事実である。
惨女 完
2009・5・3
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