第十五夜「思想家」
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ては、貴族制そのものが崩壊するだろう。
三月五日 晴れ
館の近くで物乞いをする老人に会う。私は近づこうと声を掛けてみたが、「貴族なんぞに近寄られたくない」と投石された。余程嫌な目に遭ったのだろう。その後、何人かの物乞いに会ったが、その物乞い達は皆「貴族の若様、この憐れな者にご慈悲を。今日の糧を与えて下せぇ!」と施しを求めて来た。私を拒んだ物乞いとは正反対だ。銅貨を数枚与えたが、ふと思って最初の物乞いを探した。そして見つけだして金貨を二枚投げ付けてやったのだ。「何でこんなもん寄越しやがる!」と怒鳴ったので、私は「さっきの石の礼だ!貴族嫌いな物乞いよ、その金で貴族を驚かせる程の金持ちになってみせろ!」と言ってやった。やる気があれば、彼は数年後には別世界にいるだろう。
三月十三日 霧雨
出掛けずにリュートを弾いていた。母の形見のリュートだが、弾かずにおくと文句を言われそうだからな。執事のゲオルクがトラヴェルソを演奏していたのを思い出し、呼んで一緒に演奏を楽しんだ。以前はヴァイオリンの巧いヤツが居たんだがな…今は海外遠征とかで留守だ。仕方なく二人だけで数曲の小品を合わせてみた。そして私は考えた。音の調和が、これ程に心を豊かにしてくれるのだったら、なぜ人もこのようにならないのだろうか?兎角、上だの下だのとくだらない理由を持ち出す貴族や教会は、何様なのだろうか。権力を振り翳しても、鏡に映るのは肥えた醜い己の姿だけではないか。その金のカフスで何人分の食事が賄えるのか、そのゴテゴテした指輪で何人の病気を癒せるのか考えたこともないのだろうな。貴族や教会こそ質素にすべきなのだ。肥え太る必要などは微塵もない。
三月二十九日 快晴
あの孤児院から見にきてほしいと連絡があった。私は支度をして出掛けて行ったが、全くもって驚いた。外装までもが美しく直され、見違えていた。管理の女性の言うには、内装のみで手一杯だったのだったが、改装の話しを聞き付けた市民が自主的に援助を申し出て、外装は市民が自らの手で作り直したのだという。まるで小説のような成り行きだ。とても素晴らしいことだ。私は案内され内装を見て回ったが、清潔感ある良い出来だったので安心した。それ以上に、子供たちのあの嬉しそうな笑顔…。金を持つ者は、より無き者のところへ回せば良いのだ。私は後金貨二十枚と銀貨三十枚を渡してきた。衣服や食事、それに教育を充実させてもらうためだ。教会が割り込んでこないことを願うが…。
四月一日 晴れ
今日は三日だが、牢に入れられていたので仕方ない。そこで聞いたはなしには、全く耳を塞ぎたくなるようなものばかりだった。教会の内情は、考えていたよりも深刻なものだったと言える。司祭は金を数えることに忙しく、教義などそっちのけで貴族の様に振る舞っている
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