暁 〜小説投稿サイト〜
黄花一輪
1部分:第一章
[1/3]

[1] 最後 [2]次話

第一章

                    黄花一輪
 昔と感じるならそれこそ気の遠くなるような昔であり近いと思えばつい昨日のことであろうか。少なくとも想えばそれはすぐ側にあることである。
 中国はかって多くの国に別れていた。その中に魏という国があった。
 彼はその国の生まれであった。名を聶政という。彼は背が高く長い腕と立派な身体を持ち、精悍な顔をしていた。生まれは決して卑しいものではなかったが父を早くに亡くし、生活は貧しかった。
 彼には母と姉がおり二人の為に軍に入って生活を支えていた。長い腕と立派な身体を持つ彼は剣技に長け忽ちのうちに魏でも名を知られる剣の使い手になった。
 だが。彼の貧しさをからかう者が同僚にいた。
「今何と言った」
 酒場のことであった。仲間内で飲んでいる時に彼は向かいに座る同僚を見据えた。
「言ってみろ、何と言った」
「聞こえなかったのか」
 その同僚は馬鹿にした目で彼を見返してきた。
「御前はまるで犬だと言ったのさ」
「何故私が犬なのだ」
 彼は杯を置いて同僚を睨みつけてきた。犬と呼ばれたことに憤りを覚えたのは言うまでもない。
「言ってみろ。ことと次第によっては」
「じゃあ言ってやるさ」
 酔った弾みか。同僚は退くこともなく周りの仲間達の制止も振り切って述べた。
「御前は母と姉の為に働いているのだな」
「それがどうした」
 聶政は言い返す。
「それだ。何の役にも立たない無駄飯ばかり食う女二人の為にあくせく働いている。これが犬でなくては何なのだ」
「母上も姉上も無駄飯食いなどではない」
 自分のことを言われるよりも腹が立った。彼にとってはかけがえのない肉親であり幼い頃から育ててくれた有り難い存在であるからだ。
「それをその様に言うか。謝れ」
「犬に謝ることはない」
 しかし同僚は彼を馬鹿にした顔で見るだけであった。
「まだ言うのか。では母上と姉上にもか」
「犬の親も姉も犬だ」
 彼は言った。
「他の何だというのだ?」
「ぬうう」
「おい聶政」
「落ち着け」
 同僚達は彼の間に入って制止しようとする。
「こいつは酔っているんだよ」
「だからな」
「そうか」
 聶政は彼等の言葉を聞いて落ち着きを取り戻した。だが男はさらに言った。
「犬でないというのなら証拠を見せろ」
 聶政を挑発してこう言ってきた。
「見せられないのなら御前も御前の家族も犬だ」
「では見せてやる」
 もう我慢ならなかった。眦を決して立ち上がった。
「それがこれだっ」
 そう言うと腰の剣を抜いた。そのまま流れる動作で男の胸を刺し貫いた。それで終わりであった。
「犬は剣を使いはせぬ。わかったか」
 血の中に横たわる男を見下ろして言った。彼は家族の為に剣を抜いたのであった。
[1] 最後 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ