木曾ノ章
その9
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てやろう、と。
姫は砲撃をしない。その事に、ただただ楽しさが湧きい出た。奴は、私の砲撃を僅か足りとも警戒していないのだ。そうして同時に私の全てを見きったつもりなのだ。この余裕は、私の手を見てから殺すという自信の現れである。笑う。笑ってしまう。ここで臆すような奴だと、倒す楽しみが半減してしまう。その点この姫は素晴らしかった。実に、倒しがいがある。
全力の吶喊という事もあり、姫との距離は瞬く間に縮まった。彼我はもうじき十間を割る。文字通り、本当の意味での殴り合いの距離となる。
初めて、姫は動いた。その巨大なる両腕を開きこちらを見据える。来い、奴はそう言っていた。私は奥歯を噛みしめる。この攻勢に、奴の生死はかかっているのだから。姫は右手を動かす。その指で私の体を穿たんと突き出す。だが、私は左手を挙げ、臆さずに尚間合いを詰める。自身の体に迫る指を、僅かに体を反らし避ける。しかし、姫の巨大な手は残る指を使い私の体を挟み付けた。足が海を離れる。勢いを殺された挙句挟まれた胸部が酷く痛い。骨折は免れてはいないだろう。
私は笑みを浮かべた。ここまで全てが、私の思うた通りに事は進んでいる。姫の顔が眼前にあるこの状況で、先挙げた左手は、まだ自由に使えるのだから。
「ほら」
一発、左手に構える連装砲の片方が火を吹くと同時、右手で魚雷発射装置を操作。轟音が耳をつんざく。更に一拍置いて、魚雷が着水する音をかき消すようにもう片方を撃つ。轟音で逸れた視界をまた姫に向けた時、撃ったはずの顔面は、もう片方の腕で遮られていた。普段は有り得ない程の近距離での射撃。如何な姫であれ直撃は効いただろう。その黒い巨腕は直撃した場所が割れ、中から赤い血が出ている。しかし、それだけ。今、無防備な顔面は私の前にある。だが、左手の砲塔は撃ち切った。右手は胸部と共に姫の指で抑えられている。持ち上げる事なんて出来やしない。私は先の砲撃の時、持ちうる全ての手を切ったのだ。
「死ネ」
姫は、私に興味をなくしたようだった。だから、本当に、その事が可笑しくて堪らずにまだ私は笑い続けた。私は、持ちうる全ての手を切ったのだ。それが砲撃だけなわけがあるまいに!
「死ねぇ!」
私の絶叫と共に、海面が四度爆ぜた。同時に私を空中に留めていた姫の指は力を失い、私は海へと落ちた。先の爆発で壊れたのか、左足の船底はすぐさま海へと沈んだ。何とか右足だけで体を支える。
私は左手の砲塔に装填作業をしながら、雨のように降り注ぐ海水の中姫を見た。奴はもう、船としての役割は果たせていなかった。ただ、必死に水面を掻いているだけだった。その姿を見て、私は体が動かなくなった。そこには深海棲鬼も、強大な敵も、美しい姫も居なかった。当たり前のように、行きたいと願う一つの生命がそこに在った。
笑いは浮かばなか
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