5部分:第五章
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第五章
「富樫もいるね」
「義経主従だとわかっていてもあえて見逃す」
「その心に打たれて」
「それで」
「お客さんだけでなく富樫の心も打たないといけないんだ」
その彼のもだというのだった。
「富樫は生きているんだからね」
「既に富樫は心を持っている」
「だから」
「そして弁慶も心を持っているんだ」
彼もだというのだ。
「当然義経もね」
「では心を演じないといけない」
「勧進帳はそういう話なんですか?」
「つまりは」
「いや、演じるというよりは」
少し違うと。言葉のニュアンスはそうしたものだった。
「あれだね。弁慶と一つにならないと駄目なんだよ」
「一つにですか」
「そうならないとなんですね」
「その通りだよ。だから難しいんだ」
だからだというのだった。
「それでなんだよ」
「ううむ、大変ですね」
「それを考えると」
「おいそれと軽くは見られませんか」
「何故あれだけ上演されるのか」
その上演数の話にもなった。
「訳があるんだよ」
「成程ね」
「いや、今日はいい勉強になりました」
「全くですよ」
「そう言ってくれると有り難いよ。それじゃあ」
話を終えた学者はだ。表情をこれまでの真摯な、まさに学問を語るものからだ。一転にこやかなものにしてそのうえで仲間達に言うのであった。
「今度は何を頼もうかな」
「そうですね。ここは同じ十八番で」
「あれか」
「ええ、揚巻と」
まずはこれが話に出た。
「それと巻き寿司でどうでしょうか」
「助六か」
「はい、それで」
まさにそれだというのである。
「その二つでどうですか?」
「いいね。それで寿司を食べ終わったら」
「それからは」
「吉原にでも行こうかな」
学者は笑ってこんなことも言った。
「いやいや、そっちの店には行かないけれどね」
「けれど行って、ですね」
「助六も楽しみますか」
「流石にあたかの関は無理だしね」
「それでも吉原は行ける」
「だから」
「それでどうかな」
あらためて仲間達に尋ねた。
「銀座の後はそこでね」
「ええ、そうですね」
「じゃあそこで飲みなおしますか」
「蕎麦でも食べながら」
こんな話をしながら楽しむ彼等だった。東京は今も昔もそうしたところは変わらない。劇場の看板にはだ。弁慶が勇壮な最後の退きの姿でそこにいた。あの頃と同じく。
またかの関 完
2010・9・28
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