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第一章
またかの関
「おいおい、好きだねえ」
「成田屋もね」
「全くだよ」
歌舞伎の芝居小屋の前でだ。皆いささか呆れていた。
「前も勧進帳やったよな」
「それで今もな」
こう話をするのであった。いなせな法被姿や着流しの彼等はだ。気風のよさそうな顔をしているがそこに呆れた苦笑いを浮かべて話していた。
「何でこう勧進帳好きなのかね」
「またかの関だよな」
ここでこの言葉が出て来た。
「本当にな」
「またかの関?」
「何だよそれ」
「だから。安宅の関だろ」
勧進帳のその関所の場面である。そこを舞台にして義経主従が富樫と対峙し弁慶が主の為に動くのである。
その安宅の関にかけてだ。二人は話すのだった。
「それだろ?」
「安宅の関だからか」
「それでか」
「それでなのか」
「ああ、それでまたやるしな」
その勧進帳をというのである。
「だからまたかの関なんだよ」
「そうだな。本当に多いからな」
「幾ら成田屋のお家芸って言ってもな」
「十八番でも助六とな」
この題目も話に出た。この江戸を舞台にした演目の中でも最も人気があるものだ。主人公の助六は歌舞伎の登場人物の中でも最もエド庶民に愛されている人物の一人だ。
「並ぶけれどな」
「それでもちょっとなあ」
「やること多いよな」
「全くだ」
しかし何だかんだで彼等は今日も見るのだった。歌舞伎の芝居小屋は今日も満員だった。
そしてだ。その楽屋裏ではだ。
白粉を落としても整った、実に目鼻立ちの引き締まった端整な男がいた。髷の結い方も実に粋で姿勢も身なりもいい。彼こそがだ。
「いやいや団十郎さん」
「お疲れ様でした」
すぐに周りから声をかけられる。
「弁慶、お見事でしたよ」
「本当に」
「ああ、そうか」
この男こそ市川団十郎である。言うまでもなくこの江戸の歌舞伎において最も名の知られた役者である。江戸はおろか上方でも知らぬ者はない。
その彼がだ。周りの言葉を受けていた。そうしてだった。
「そう言ってもらえるとな」
「はい」
「どうですか?」
「俺としてもそれで気分がいいな」
笑っての言葉だった。
「本当にな」
「そうですか。それにしても今日の勧進帳は」
その勧進帳の話になった。
「見事でしたね」
「ええ。もうそれは」
そしてだ。ある者がこう言った。
「もう極めましたね」
「極めた?」
団十郎はその言葉に眉をぴくりと動かした。
そしてだ。あらためてその言葉に問い返した。
「極めたと思うか」
「今日の舞台も見事だったじゃないですか」
その言葉を出した男がまた笑顔で言った。
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