第二十二話 大庭少佐!作者はスキーで骨折しかけた経験あり!!その一
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戦え!!正義の兄弟戦士ジャスティスカイザー
第二十二話 大庭少佐!作者はスキーで骨折しかけた経験あり!!
スキーは危ない、尚智と尚武は今このことを実感していた。
二人は今長野のスキー場にいる、修学旅行でそこにいるのだ。そして雪の坂道を滑りつつ言うのであった。
「下手したら骨折かよ」
「スキーは過酷だな」
「というか作者マジでスキーでこけて膝骨折しかけたからな」
「大湊でな」
青森県だ、海上自衛隊の基地もある。
「それでスキー止めて飲みまくってな」
「そのまま風呂屋さん行ったんだよな」
「サウナも入ってな」
「あったまったらしいな」
「大湊寒いからな」
青森県だ、つまり東北の一番北の県である。
「あそこはな」
「ああ、この長野よりもな」
「作者津軽も行きたかったけれどな」
「太宰治のな」
言わずと知れた太宰の故郷である。
「太宰はあそこの大地主でな」
「親父さんもお兄さんもお兄さんの血筋の人も政治家でな」
「あそこじゃ名家なんだよ」
このことはよく言われている。
「一族の中で一番成績優秀で」
「しかも顔がよくて女の人にもてたんだよな」
「所謂イケメンの文学」
「志賀直哉と並んでそう位置付けられてるな」
ある人がテレビで言っていた、ただそれが誰だったかはもう作者は覚えていない。その二人と比較して田山花袋はブサメンの文学とされていた。
「太宰は志賀直哉嫌ってたけれどな」
「そうそう、如是我聞な」
「人間失格と一緒に書いてた時にな」
この作品も書いていたのだ。
「志賀直哉批判してな」
「芥川みたいになれって言ってたんだよ」
「まあ太宰は芥川好きだったからな」
「それも終生な」
その為芥川賞にこだわったのだ、何とか賞を取りたいと思いそれで川端康成に手紙を送ったりもしている。
「だから志賀直哉にはな」
「反発覚えててな」
「それを死ぬ間際に書いた」
「人間失格と一緒にな」
そして自殺したのだ、昭和二十四年六月十三日のことだ。
「その太宰の津軽にも行きたかったけれど」
「二回大湊に行ってな」
「津軽には一回も行っていないんだよ、作者」
「八戸には行ってもな」
「青森市にも行ってねえし」
「偏ってるな」
何故かそうなった、ついでに言うと林檎も食べていない。
「北海道は函館、小樽、札幌、稚内」
「この四つに行ったな」
「それで楽しんでたな」
「ラーメンと海の幸」
「小樽はヒルトン小樽行ってバイキングで楽しんでその後スーパー銭湯」
「あそこでも風呂に入ってたな」
大湊の時と同じくだ。
「寒い場所での風呂っていいよな」
「俺達も後で入るしな」
「楽しむか、今日は」
「そうしような」
こうし
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