第五十三話 山師その十一
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「ご息女がおられなくて」
「だからあたし達をか」
「欲しくてね」
つまり娘がだ。
「それで私の力を借りてね」
「生み出してくれたのか」
「残念ながら自分自身の手で育てられなかったけれどね」
「他の人に預けてか」
「そう、それは私が勧めたんだ」
「何でだよ」
「急に八人も娘が出て来ては不自然だし」
それにというのだ。
「カリオストロ伯爵が生まれたばかりの君達を狙っているのではとも思ってね」
「だからか」
「君達をそれぞれの家族に預けてね」
「育ててもらったのか」
「皆信頼の置ける人達だったからね」
菖蒲達も見ての言葉だった。
「だからね」
「人を見てくれたんだな」
「勿論だよ、子供を預けていい人とよくない人がいるね」
「まあそれはな」
「よく聞くね」
「子供を虐待する馬鹿親な」
「そうした人もいるから」
それ故にというのだ。
「人を選んだんだよ」
「それであたしはか」
「あの孤児院に預けたんだよ」
そうだったというのだ。
「君についてはね」
「よかったよ、それで」
「あの孤児院で育って」
「あの孤児院があたしの実家だよ」
薊は心から笑ってこうも言ったのだった。
「横須賀のあそこがさ」
「そうだね」
「確かに孤児になるよ」
薊は自分でそのことを認めた、だがそれは平然としたものだった。そこに何の劣等感も存在してはいなかった。
「けれど親がいるんだよ」
「孤児院の院長さん達だね」
「ああ、院長さんもそう言ってくれてるよ」
「私も」
「私もよ」
他の少女達もここで言うのだった。
「今いる家のお父さんとお母さん達が」
「家族だから」
「そうだね、君達には親がいる」
伯爵も言うのだった。
「そのことは確かだよ」
「つまり伯爵と先輩のお祖父さんが生みの親で」
「それぞれの親御さん達がだよ」
伯爵はまた薊に話した。
「育ての親だよ」
「そうだよな」
「実は私には一つの考えがあるんだよ」
「考え?」
「人は何故人なのか」
哲学であった、人は誰しも哲学それぞれのものを持っているがそれはこの伯爵もまた然りなのだ。その哲学はというと。
「それは生まれによるものか」
「人造人間は人間か、か」
「私は人間だと考えていてね」
「だからあたし達を生み出してくれたんだな」
「それ以前の子達もね」
他の人造人間もというのだ。
「人だとね」
「最初からそう考えていたんだな」
「最初の子、試験管の中のホムンクルスを生み出した時からだよ」
「その時からか」
「あれは何時だったかな」
過去を思い出してだ、伯爵は遠い目になってだ。
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